ありがとう教!

昔書いた酷い記事

「ありがとう」の弊害

感謝の本質」では、自己啓発系の「感謝しましょう」 「ありがとうと繰り返しましょう」を読んで、 何ともいえない胡散臭さを感じていたことを書きました。

その後、「感謝」の翻訳前の原文は”appreciate”だったので、 「こりゃあ”ありがとう”じゃなくて”すげー!”のことじゃん」 と気付き、やっと納得がいったことも書きました。

ありがとう教…!

何でこうも「ありがとう」が氾濫しているのか調べてみたところ、 どうやら「ありがとう教」というものがあるようなのです。 ※ありがとう教:ありがとうを繰り返すことで、病気が治ったり金持ちになったりする宗教。 詳しくはググって。

ありがとう教でもごめんなさい教でも勝手にやってくれ という感じなのですが、どうも自己啓発系の翻訳者たちは 結構な割合で「ありがとう教」の影響を受けているようなのです。 そのために”appreciate”を「感謝」「ありがとう」などという、 チープな言葉に翻訳してしまうみたいなのです。

「ありがとう教」のおかげで本に書かれた「感謝」の本質が分からず、 何ヶ月も時間を費やしてしまいました。 まぁ私のことはよいのですが、さらに調べてみると、 ありがとう教の教祖様は「ありがとう村」という閉鎖空間をつくり、 女性信者を何人も囲うという、何ともセクシャルなことをして問題になったそうじゃないですか。 (これじゃあ「感謝」じゃなくて「顔射」じゃないか。いい加減にしろ!)

ここまでくると、一体誰のための、何のための「感謝」「ありがとう」なのかと思ってしまいます。

ありがとう=見返りを乞う言葉

というわけで、「ありがとう」「感謝」などという言葉に、 すっかり冷めた感情を持ってしまった私ですが、 何故私が「ありがとう」に胡散臭さを感じていたのか、 やっと分かりました。

きちんと考えてみると、「ありがとう」という言葉は、 何らかの行為に対して発せられる言葉です。 周囲から何もされていないのに「ありがとう」を連呼していたら どう考えても「見返り」を乞うているようにしかみえません。

「見返りを求めない感謝」とかいう言葉もありますが、 これも何とも矛盾した言葉だと、今では思います。 ありがとう教に心酔して、壊れたカセットデッキの如く ありがとう連呼している人は、 「もう1万回繰り返してるんだから、病気が治ってもいいだろう」とか 「1万回ありがとう言ったから、なんかちょうだい」とか、 絶対に私利私欲にとらわれてありがとう連呼していると思います。

純粋に過程を楽しんでいるならともかく、 亡者になっていては何の効果も現れるわけないですし、 「ありがとうを何億回言っても、効果無いですよ」とぶっちゃけたら、 殆どの人が連呼するのを止めるんじゃないでしょうか。

これに対し”appreciate”は、「すげー!」と高く評価してそれでオシマイです。 別に見返りを求めるような言葉じゃありません。 どちらが良いかは、一目瞭然です。

この記事は私なりに考えたことなので、 「ありがとうありがとうありがとう」と毎日毎日お題目のように唱えて、 それで幸せなら、それはそれは結構なことだと思います。 ただ、何の高揚感も無いまま、ありがとうを連呼しても何も変わらんし、 教祖様にすがりついて自身の可能性や能力を捨てているような人には、 自分の求めるものは絶対にやってこないと、私は思います。

<追記>
「賭博黙示録カイジ」の兵藤会長じゃないですが、 何かのご利益目当てに「ありがとう」連呼している人は 「俺がこれだけありがとう言っているのに、なんで何も起きないんだ!」 と、逆切れや逆恨みをしそうです。 そういう人たちに、ちょっとした負荷をかけると、 口先だけの「ありがとう」を止めて、態度を180度翻すと思います。

<追記2>
実践してもいないのに、ああだこうだ言うのは何か違うので、 実際に「ツイてる」「感謝します」「ありがとう」と言い続けてみました。 その経過はこちらの記事で。徹底検証!魔法の言葉連呼>>

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