悟りとはラベル貼りではない

個人的な体験である

第8章 私の内なる空間悟り体験2015

前回の記事

8章 内なる空間の発見

今回より、7章の続きみたいな内容の第8章です。

「内なる空間」とありますがこの章の内容、 最近になってやっと実体験として実感できるようになりました。

今回は、その過程を簡単に書いてまいります。

ピンとこない

本書に限らず、エックハルトトールの本には「内なる空間」だの 「インナーボディ」だのという言葉が出てきますが、 この「内なる〜」という言い回しが、どうも私にはピンときませんでした。

そのため、インナーボディを感じろと言われても、 身体の中には内臓とかしかないから感じようがないし、 まさかトイレに行って「もうだめ!インナーボディーが出りゅうううう!!」 とかやれってことじゃないよなあ、と考えておりました。

また、「深呼吸しろ」とか「呼吸を感じろ」という文言もこれまたピンとこず、 実際呼吸を意識しても効果ありませんでした。

一時期、呼吸を感じるためにビニール袋を鼻と口にあてて スーハースーハーやってみたのですが、 どうもこれはシンナー遊びをしているみたいで何とも情けなく、 嫌になってやめてしまいました。

気付きは突然やってくる

そんなわけで、内なる空間も呼吸も放っておいたある日、 ふと「この身体と思考を形作り動かしているのは何だろう」 「この身体を動かし、思考や五感を湧き上がらせているのは何だろう」 「脳かな?それでは脳を形作り機能させているのは何だ…」みたいなことが頭に浮かびました。

その瞬間、私の身体や思考や感情、五感を形作っているもの、 そしてこの宇宙の全てを形成している「大いなる力」 「宇宙意識」「源」「全てを内包するもの」みたいなものを感じたのです。

そこには「私」も「他人」も無く、誕生も消滅も無く、 ただ「在る」みたいな感じであり、私の身体や思考が、 本当は私ではなかったというような実感があったのですが、 これ以上言葉では上手く説明できません。

要するに一切は空、周囲はもちろん、 自分だと思っていたこの身体やこの思考やこの五感も全部「空」みたいな感じです。

その時に感じた、絶対的な安らかな状態というものは現在は消えてしまいましたが、 その移り変わる状態を認識している、単なる思考とは別の「意識」みたいなものは、 相変わらず残っています。

これが本書でいうところの「内なる空間」「生命」「ほんとうの自分」 といったものなのでしょう。

個人的な体験

この体験から分かったことは、 「悟り」や「気付き」といったものは個人個人の実体験であって、 教科書に書かれている言葉をありがたがって真似するものではない、ということです。

なので、色々な本やサイトを読んで手法を真似して 「何でオレにはできないんだ」なんて悩むのは、 マヌケとしか言いようがありません。(それも過程の一つですが)

さらに、大した効果も実感できていないのに「内なる空間を認識できた(大嘘)」 「呼吸を意識するとスッキリした感じがする(大嘘)」なんて自分を誤魔化して嘘を吐くのは、 気付きや悟りといったものとは正反対の状態であり、 「あ、これはオレには合わないんだな」と正直に認めたほうが100000000000倍良いです。

その上で、試行錯誤したり、 別のヒントを探したりすれば良いではないですか。 (悟りに限らず引き寄せ等のメソッドも同じ!!!!)

私の場合、ガンガジと津留晃一とOSHOでした。 以前の記事で津留氏のことを 3Pオヤジだの散々書きましたが、 氏が言ってる内容は何か真理っぽいし、 何かしっくりきたので 私には合ったのでしょう。  (2017現在は「やっぱりただの3Pオヤジだったんじゃないか」などと思ってる)

3者ともそれぞれ公式?サイトが充実しているので、  興味ある方は検索して読んでみるがいいです。 結局、目指すところや到達するところはみんな一緒なので、 自分なりのやり方でヒントを探し、参考にし、 自分なりのルートで到達するのが一番だと今は思っておりますし、

そもそも、悟りや気付きや目指すところ云々以前に、 「それ」はず〜っとそこにあるので、 「悟りや気付きを求める」という思考や行為自体が、 コトの妨げになっているというのが現在の印象です。

次回に続く>>

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