Stillness Speaks

その11

解説『Stillness Speaks』その11

前回の記事

今回は9章のDeath & The Eternal、死と永遠について。

本章の冒頭で

Death is not the opposite of life. Life has no opposite. The opposite of death is birth. Life is eternal.

と書かれている通り「死の反対は生でなく誕生」であり 「生は永遠のものである」となっております。

「生は永遠だなんて嘘だ!」と思われる人が殆どでしょうが、 「生」を「質量」や「存在」と考えるならば、

もし人が死んだ際にその人の質量が消えるとするなら、 E=mc^2の方程式より莫大なエネルギーが発生し、人が1人死んだだけでも地球が吹き飛ぶ、 というのは散々書いてきた通りであり、

でも実際には毎日人が沢山死んでいても地球は吹き飛んでいないので、 ある人が死んだとしてもその「存在」は消えずに「形、状態が変化しただけ」と言うことができ、

そう考えると「生はおそらく永遠」といえるのではないでしょうか。

※じゃあ死んだら意識等はどうなるのか、そういうのについては知らない。 どなたか教えてください。(ただしマトモな大学を出たそれなりにインテリの方、 物理学的にご説明オナシャス)

経験の終わり

そんな人の生き死にという「ご大層」なものだけでなく、 休日が終わる、楽しい会食の時間が終わる、映画を観終わる等の 「経験の終わり」についても本章には書かれていて、

そういう「経験の終わり」も一つの「小さな死」であり、 「小さな死」を経験することによって人間は死と同種の空虚さを感じるとのことで、 これは誰もが心当たりあることではないでしょうか。

問題なのは、空虚さ虚しさを感じること自体ではなく、 その空虚さを感じることに向き合おうとせず、何らかの形で誤魔化そうとすると、 たちまち苦しみが生まれるということ。

簡単な例を挙げると、映画とか観ながらポテトチップスを一袋食べ終わったとき、 「ああ袋が空になった、楽しい時間が終わった」と虚しさを感じますが、 大抵の人がその虚しさを誤魔化すために、限界がくるまでもう一袋に手を伸ばしたり、 ポテチの代わりに煎餅とかに手を伸ばしたりします。

こんなことをしているとキリがなくなり、 肉体にも悪影響を及ぼしさらなる苦しみが生まれるし、 これがアルコールやニコチンなら依存症一直線となります。 (依存症の一因には「小さな死から逃れたい」という思考が少なからずあるのだろう)

なので、楽しいひとときが終わってしまった、ああ残念だ虚しいなと思ったときは、 その「ああ残念だ」「虚しい」という感情から逃げたり誤魔化そうとしたりせず、 感じるまま、そのままにしておきましょう。

If you can learn to accept and even welcome the endings in your life, you may find that the feeling of emptiness that initially felt uncomfortable turns into a sense of inner spaciousness that is deeply peaceful. (ヘボ訳:人生における「終わり」というものに対し、 受容すること更には歓迎することを学ぶことができれば、 最初は不愉快に感じていた空虚さが深い平安を伴う開放感へと変化する)

By learning to die daily in this way, you open yourself to Life.

と本章にあるように、虚しさを虚しさのまま、そのままにしておけば、 その虚しさが開放感や平安へと変化していくのです。 (何でそうなるのか、原理は知らん!)

そして、毎日おとずれる「小さな死」を受容する練習をおこなうことで、 来るべき肉体の衰えや病による肉体機能の喪失等に対する予行演習となるし、 ひいては「死」本番に対する予行演習にもなる、というわけであります。

全ては無常、死の前にはお手上げ

まぁ、予行演習なんていくらやっても、 実際に死を意識するようなことが起きないと「私は死にゆく存在である」 ということは理解できないし、

いざ病気で身体の機能を失ったり、 または肉親、財産、名声を失ったりするような「大事件」に直面したら、 予行演習なんて全く効果が無く、大騒ぎとなるでしょう。

そして、「何で俺がこんな目に」とか「こんなことが起きて良いはずがない」とか考え、 何とか元に戻そうと躍起になってあれこれ手を尽くすし、 もちろんこんなこと書いている私もいざコトが起きたらそうします。

ただ、あれこれ手を尽くしても元には戻らず、もはや万策尽きたとき、 「絶望」や「諦め」といった中に「平安」がやってくるというのは紛れもない事実だし (尤も、私の経験はどれも大したことないが)、

「死」や「無常」といった人知を超越したものに対して、私達が最終的にできることは、 やっぱり「お手上げ状態でいる」ことくらいしかないのではないかと私は思うし、 他に何か手があるなら教えていただきたいくらいです。

そんな感じで、もがくだけもがいてやっぱりどうにもならず、 6章最後の”Leave Life alone. Let it be.”の境地になったとき、 怒りや悲しみや絶望の中から何かが現れるということで、

そういう経験をすることで、本章にある

  • 「死=貴重な私の存在が終わる」に私達は耐えられず恐れているが、 私達が考えている「貴重な私」は、名前やストーリーを伴った一時的な形に過ぎない。
  • 何かを失ったとき、それらの痛みや失望や恐怖といった感情から逃げず、 エゴが失ったことについてのストーリーを仕立て上げ、被害者の役を演じようとしていることに気付け。
  • 形の崩壊の中から形を持たない「神」が輝く、 これが死と向き合いお手上げしたときにおとずれる平安の理由である。
  • 予期せぬ恐ろしい出来事や差し迫った死は、 意識を形への同一化から完全に救い出してくれる。
  • 永遠を感じるために、私の周囲にある形あるもの、人生や身体や思考や所有物は無常なのである。

これらの記述(訳は適当)が、 おぼろげながら理解できるようになるのではないでしょうか。

というわけで、死や喪失といった無常に対して人間は無力で最後はお手上げするしかない、 そうはいってもやっぱり抵抗せずにはいられない、これが人間の業なのだろう、 というイデオンのコスモやドバみたいな感じになるのが本章なのですが、

本章についても本文をダラダラ読んで足りない頭で分かったつもりでは全く意味がなく、 やはり身をもって知ることで効果が現れるものなので、

無常に直面したときは逃げたり誤魔化したりせず、感情はそのままにして、 無駄な抵抗をしたいならしまくって、 早々にお手上げ状態になってしまいましょう。

以上、今回はここまで。次回はいよいよ最終回。

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