快癒力2

その5

解説まとめ『快癒力2』その5

前回の記事

前回に続き、今回は

  • 1.望んだものはすでに手に入れている
  • 2.人間は、寿命がこないと死なない
  • 3.私の体は私のものではない
  • 4.私は私にしかなれない

の3と4について書いてまいります。

読めば分かること(少なくとも頭では)なので、多くは書きませんが、 長い引用があるため長ったらしい記事となっております。

3.私の体は私のものではない

まずはこれ。

「俺のものではないなら、誰のものなんだ」という話ですが、 散々書いてきた通り「天(宇宙、自然)からの借り物」ということ。

本書においても 「身体があなたのものだというなら、心臓や胃や肺等は一体誰が動かしているのでしょうか」 と書かれていて、「そら自律神経よ」とは思うのですが、じゃあその自律神経って何という話になりますし、 そもそも著者は医者なので、その辺の凡人よりも人体に詳しいから私は言い返すことができません。

また「身体はレンタカーみたいなものなので、 軽トラで高速の追い越し車線をぶっ飛ばしたりGTRでクロカンをするような無理をすると壊れる。 身体に適した生き方をすれば良い」と、次の4にも通じることも書かれております。

ともかく、この3の箇所で斬新かつ印象的で私が衝撃を受けたのは、 少しアレンジしたけど以下の一文。

「この地球上には、自然から生み出されたものしかない。 私の体の中には、農薬も放射能も、遺伝子組換え作物もある。 人間の体こそが自然そのもので、宇宙の全てが内包されている」

この文を読んでどう思われるかは人それぞれでしょうが、 やっぱあれはダメこれはダメなんてやるよりも、 適当に生きた方が健康に生きられると思いました。

4.私は私にしかなれない

最後はこれ。

本書には「私は私にしかなれない。それも自然であり、自分以外の何かになろうと頑張っても無駄である」 とあり、「そんなの当たり前じゃないか」とは思うのですが、 これが実感できていない人は多いと思います。

その証拠に、未来に「理想の自分」とやらを掲げて「理想の自分」になろうと日々努力したり頑張ったりし、 その結果、身体や精神のバランスを崩す人、結構いるでしょう。

そして、何年かけてもいくら努力しても、来たるべき「理想の自分」にはなれず、 一生をかけて苦しみ続け、「こんなはずじゃなかった」と失意のうちに死んでしまうのです。

本書ではそういう人が病気になるのは「今のお前はお前ではない」というメッセージで、 「なれるものになればいい、それでOK。自分自身を生きよ」と書かれており、 私としては失望のうちに死んじゃうよりかは、 病気になって気付いた方がマシなんじゃないかと思います。

「でも『自分を生きよ』と言われてもピンとこないよ」という人もいるでしょうから、 ここで、この箇所を読んだときに思い出した、OSHOの「光明を宣言しなさい」という 話を紹介いたします。

当講話のアドレス→ http://www.osho-japan.com/vision/dec_enlight.html

引用箇所が長くなりますが、本文はもっと長いです。(動画で全部見たら1時間半かかった)

ただ、途中のカビール等のエピソードを飛ばせばそこそこ短くなるので、 興味湧いた人は全文を読んでみてください。

引用はじめ

(前略)

それに一生をかけてなろうとしても理想のとおりになった人はひとりもいない。

キリストになったキリスト教徒を見たことがあるだろうか。 人類のほとんど半分がキリスト教徒で、 二千年にも渡ってこれらの人びとはキリストになるという理想をかなえようと懸命の努力をしてきた。 なぜ彼らは失敗しつづけるのか。 それはキリスト教徒だけではない――ジャイナ教徒も、仏教徒も、イスラム教徒も、誰も成功してはいない。

理由はあまりにも基本的なので逆らうことはできない。

自分自身であるか、無駄骨折りをするかどちらかだ。

選択肢はこのふたつしかない。

ゴータマ・ブッダの独自性を愛するのはいいが、けっして彼のまねをしてはいけない。 彼自身、誰のまねもしなかったので、そのために彼は光明を得た。 単純な事実が認識されてこなかったのは奇妙なことだ。 マハヴィーラは誰のまねもしなかったのでそのために光明を得た。

誰かのまねをして光明を得た人がいたら見せてほしいものだ。

(中略)

自分の人生を楽しみなさい。

それはそのままで完璧だ。

完璧主義の考え方は神経症、病理、精神錯乱しかつくりださない。 私は平凡であれと教える。私はシンプルであれと教え、自然であれと教え、 あなたは到達しようとしてきたところに、まさにわが家にすでにいるということを教える。 あちこちを走り回って時間を無駄にしてはいけない。

だがあなたはいつもなにかになれ、何者かになれと言われてきた――あらゆる宗教が私に対立し、 あらゆるモラリストが私に反対するのはそのためだ。それは理解できる。

なぜなら、もし私が正しかったら、 人類をはるか彼方のゴールに向けて駆り立ててきたすべての伝統やすべての教えがきわめて 犯罪的であることが証明されるからだ。

というのも、彼らは人びとの生きる機会、愛する機会、歌う機会、踊る機会を奪ってきたからだ。 そして究極的な意味では、いまここで聖なるものを感じる機会そのものを。

ありふれたもののなかに聖なるものを感じることができないかぎり、あなたは知性的な人ではない。 自分の小さな行いのなかに感謝、喜び、気づきを表現できないのだとしたら、 あなたは惨めなままでいるしかない――この生だけでなくたぶん多くの生に渡って。

あなたに私のような人間を再び見つけられる機会があまり多くあるとは思えない。 こういった宗教的な指導者や宣教師たちには多く会うことだろう…… ひとりを見つけようとしたら千人ぐらいは見つかるだろう。

だが私はあなたの平凡さに最高の敬意を払う。私はありふれたものをこの上もなく崇敬する。 私はなにひとつ改良したいとは思わない。何世紀にも渡って人びとは改良に改良を重ねてきたが、 なにひとつ改良されてはいない。

私にも機会を与えてほしい。改良をやめなさい。

あなたはそれを知ったら驚くかもしれないが、これまで改良のために使われてきたエネルギーが、 あなたのダンスになり、あなたの祝祭になる。

引用終わり

以上、長々と引用しましたが、最早私が申し上げることはございません。

賛否両論(当講話だけでなく、OSHOという人物についても)ございますでしょうが、 この辺の感覚をたとえ一瞬でも実感できれば中々楽しいので、興味ある人はやってみてくだち。

今回はここまで。

次回に続く>>

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