東大のシケ対とシケプリを語る

授業が始まると、クラス毎に1授業1人ずつ、 (多くの場合はクジで)「シケ対」が決められます。

シケ対に選ばれた人は、他のクラスメート達がサボる中、 毎回授業に出てノートをとり、それをまとめて「シケプリ」を作成し、 試験前に授業をとっている人に配らなければなりません。

今回は、そんなシケ対およびシケプリに関する私の本音というかエピソード。

シケプリに頼りすぎるな

このような制度があると知った私は、 「東大とは何て素晴らしい大学だ!」 と感激し、出欠確認のある中国語や英Ⅰ英Ⅱなどを除き、 殆どの授業をサボるようになりました。

そして自宅のアパートで 「どうせ哲学なんて、日本語で書いてあるだけだろ。 シケプリがあれば何とかなるさ!哲学なんぼのもんじゃい!」 と、何の為に東大に入ったのか綺麗サッパリ忘れ、 Aチームの再放送とか観ながら酒を飲んでいました。

そしてテスト期間に入り、 キャンプラ(今は無いのか)でシケプリが配布されたのですが…

それを読んでも全く意味が分かりませんでした。

授業に出ていないので当たり前なのですが、 書いてあるのは日本語なのに「本当に意味が分からなかった」のです。

結果、中国語、英語Ⅰ、英語Ⅱ、体育、情報処理などの必修科目と 持ち込み可能だった方法論基礎1科目、選択2科目(だったと思う) を除いてあとは全部「不可」となり、私の一年生夏学期は終了しました。

シケ対がシケプリを作ってくれるからといって、 授業サボってシケプリだけ見れば単位が取れるほど、 東大の授業は甘くなかったのです。

自分がシケ対になった

東大生になる前の私なら、この時点で「もうやだ〜」と逃げ出して最悪の場合退学していたのですが、 受験勉強で多少なりとも鍛えていたのでそのようにはなりませんでした。

捲土重来を期して挑んだ一年の冬学期、幸か不幸か、私が選択必修の哲学のシケ体になってしまいました。

哲学の授業に出てみると、脳で認識することがどうの、 身体と意識の一元論、二元論がどうのと、訳が分かりませんでした。

「とんでもない科目のシケ体になってしまった」 と真っ青になったのですが、私の他にクラスの受講生が10人位いたので、 私が逃げたらみんなが困ると、珍しく他人の為に努力することになりました。

クラスで授業に出ているのは私だけで、 皆私のシケプリを当てにして授業をサボっているという有様でしたが、 私は一度も欠席せず、必死に授業に齧りついてノートをとりまくりました。 (ちなみに、真面目にノートをとったのは、この時が生まれて初めてのことだった)

正月休みも実家に帰らず、独りアパートに籠って、 今までのノートを整理し、シケプリを作っていきました。

※正月一人だったがそんなに悲壮感は無く、 MXテレビで劇場版ガンダムを通しで放映していたので、 それを見ながらシケプリを作成してた。

天才にはかなわない

正月休み返上して必死にシケプリ作ったこともあって、 満足のいくものが出来上がりました。

そして試験を受けたのですが、 私はもちろん単位をとることができましたし、 他のクラスメートも単位を落とした人は一人もいませんでした。

「やったぜ!俺って才能あるかも」と有頂天になっていたのですが、 クラスのH君(開成出身)の一言で、私の思い上がりは砕かれました。

「あのシケプリ良かったよ!いや〜助かった。 授業一回も出ないで“優”が取れちゃったよ!」

なんということでしょう。

私は死ぬ思いで授業に出て、必死にシケプリ作って、 成績は“良”でした。

授業に一回も出ていないH君は、 私のシケプリを見ただけで“”を取ったのです。

この時、私は努力ではどうにもならない壁がある、 「天才」というものはいるんだな、ということを悟ったのでした。

悪夢の東大英語Ⅰに続く。

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