温泉巡りの旅in2016 後編

前回の記事

今回は八ヶ岳周辺と下部温泉、まとめを書いてまいります。

今回の旅を通して、自分が以前住んでいるところにこんな良い温泉があったなんて、 住んでいた頃にも行けば良かった、などとも思いましたが、

そんなこと思ったからって時間が逆戻りするわけでもないし、大体それを言うなら、 酒屋と自宅の往復だった京都時代なんて目も当てられない状態になるので止めときます。

ただ、今思うに、やっぱり金や心に余裕が無いと何処へ行こうが楽しくないので、 おそらく山梨時代に温泉めぐりしたりニート時代に京都観光しても、 一時的な憂さ晴らしになるだけで心から楽しむことはできなかったでしょう。

八ヶ岳周辺と下部温泉

不老閣で健康的な一晩を過ごした後、 黒森を抜けて野辺山に行き、しばしいつものルートをウロウロしておりました。

※ちなみに初めて増富周辺をウロウロしたとき「ここから黒森を抜ければ清里や野辺山に出るよ」と 現地の親切なオジサンに色々とルートを教えてもらったのだが、 「何で突然自転車の素材が出てくるんだ」と思ったのはここだけの話であり、 さらに道を間違えて遭難しかけたのもここだけの話。

いつもの八ヶ岳
いつもの風景。
いつもの東沢大橋
いつもの風景2。リニューアルされた東沢大橋。
いつもの清泉寮
いつもの風景3。長野に比べてまだ寒さが厳しくないし東京から近いので、山梨は人がそこそこ多かった。

こんな感じで時間を潰し(贅沢な時間の潰し方だな)、下部温泉に向かいました。

下部温泉といえば、八幡原で武田信玄が謙信に斬られたか何かして負傷した後、 傷を治すために利用した温泉で、その源泉が今でも残っているのが今回泊まった「源泉館」という旅館です。

源泉館公式サイト。「1126」って何ですか。 → http://www.gensen1126.jp/

※読者の方から「いい風呂」だと教えていただきました。

源泉館入口
源泉館正面。
信玄書状
館内にある信玄からの免許状。「お宅の温泉ナイスですね」と書かれている(適当)。 右が信玄の父信虎の書状で左が馬場信春の書状。
井伏鱒二と源泉館
井伏鱒二と源泉館。入口の側に飾ってある。
温泉入口
離れにある温泉入口。温泉が吹き出している岩盤に板が張ってある。 基本混浴だが、午後5時半くらいからは女湯と化すので男性諸君は早めにチェックインして入浴されたし。

で、あの信玄も利用したといわれる温泉に早速浸かってみたのですが、これが予想以上にぬるい。

温水プールと同じくらいで「こんなんで刀傷が治るのかね」とか 「これじゃあ身体が温まらないよ」とか思っていたのですが、 20分くらい入っていると昨日の不老閣と同じく何か知らないけど身体が温まってきました。

いい気分で風呂を出て、その後食事となったわけですが、 サイドメニューを見てみると、なんと「七賢、谷櫻、春鶯囀飲み比べセット」 なるものがあるではありませんか。

※七賢は20号線沿いの白州は台ヶ原にある酒蔵、 谷櫻は私がよく利用していた大泉の金田一図書館近くにある酒蔵、 春鶯囀の萬屋酒蔵は鰍沢(増穂かも)の酒蔵。

「そういえば…山梨に住んでいた頃は七賢や谷櫻や春鶯囀なんて高級で手が出なかったなあ。 飲んでいたのは、戸田酒販で売っていた1升1000円のPBパック酒 (製造元は韮崎の福徳長だったが、途中で何故か諏訪のダイヤ菊に変わった)だもんなあ。 しかも寒さを紛らわすために熱燗で」

という昔のことを思い出し、 今こそ無念を晴らすときだということで飲んでみたらとても美味しかった!

甘さでいえば、七賢>谷櫻>春鶯囀の順で、 私的には谷櫻が一番バランスがとれていたような気がするのですが、 どれも1升1000円のパック酒とは桁違いに美味しかったというのが正直な感想です。

美味しかったのでおかわりとかして、最終日だったのでタガが外れたのか ついでに部屋の冷蔵庫にあったワインにも手を付けて、 ビールも飲んじゃったりして、久々に飲んでしまったのでした。

まとめ

以上、次に行きたい温泉といえば、5歳の頃に岡山の湯原温泉に行って、 旅館の受付のところにオオサンショウウオがいたのを覚えているのですが、 その直後に40度の熱を出し倒れてロクに旅を満喫できなかったので、 是非とも湯原温泉のリベンジしたいと考えております。

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