日本語版と異なる前書き 解説『The Power of Now』

前回の記事:概要、ニューアースとの違い

前回の記事では「本書はニューアースより読みやすいが、 その分勘違いしやすそう」などと書きました。

今回は予告通り、本書の前書きについて書いてまいります。

本当は他に書くこともあるのですが、 どういう風に記事を書いていくか、 いまだに固まっていないから仕方ないね。

前半はそこそこですね

まず前書きの前半、The Origin of This Bookについてですが、 これについては一部を除き、英語版も日本語版もそんなに変わりません。

こんな感じで、著者の意識に変容が起きて世界が変わります。

私の場合もそうでしたが、意識に大きな変容が起きるのって、 夜中に目が覚めたときが多いのでしょうか。 やっぱり寝ぼけた状態で、思考があまり活動していないからかなと思いました。

それはともかく、私が腑に落ちないのは、著者が目覚めの経験をした後、

人間関係も築かず、職にも就かず、住まいも持たず、どの集団にも属さずに、 「至福の状態」で、およそ2年間ほど公園のベンチで座って過ごした

という記述がカットされていること。

達磨大師じゃあるまいし、 本当に2年間ぶっ通しでベンチに座り続けたわけではないとは思うのですが、 これの何が鎖マン監修者の気に障ったのか、さっぱり分かりません。

監修者は本編においても共産主義にとって都合の悪い記述をカットしているので、 こういうベンチにただ座っているだけの「怠け者」みたいなのは 粛清や自己批判の対象になるということではないか、と邪推してしまいました。

おお、こわいこわい。

何で省いたのか分からない後半

前半については以上になるのですが、 問題は後半のThe Truth that is Within Youの方。

ザッと目を通しただけでも、

これだけの記述が、ごっそりカットされています。

それぞれを私なりに、間違いを恐れず適当に翻訳して説明すると、

pause symbol
これがThe pause symbol。なぜか横向きにされた状態で『Stillness Speaks』日本語版に流用されている。

大雑把に紹介しただけでもこんな感じとなっており、結構重要であるにもかかわらず、 鎖マンは何が気に入らなくてこれらの記述をカットしたのか、 私にはサッパリ理解できません。

The pause symbolなんて日本語版に一度も出てこないし。

もしかすると、鎖マンは当時、T間書店に恨みを抱いており、 原書ではまごうことなき名著である本書をただの浅薄なスピリチュアル本に貶めることで、 T間書店に損害を与えたかったのかもしれませんが、 そんな下らないことに巻き込まれた日本の読者はたまったものではありません。

もしくは、鎖マンはギレンやシロッコ並に選民意識が強く、 「英語すら読めない愚民共に本書の全てを明らかにする必要はない! てゆーか、俺自身もこの本の内容よく分かってないし」 などと考えた結果がこれなのかもしれません。ヒェ〜

前書きでこんな有様なので、 本編も精査していけば酷い改ざんが見つかるのかもしれませんが、

ざっと読んだだけでは日本語版本編に鎖マン的改ざんは見つからなかったし、 そんな精査に手間をかけるくらいなら原書だけ読めばよい話なので、 私的には別にいいです(無責任)

というか本書はホンマ長いので、英文科卒等で英語に強く、 かつ教養のある方に精査はお任せいたします。

以上、今回はここまで。

次回は「本書を読めば、果たして幸せになれるか」等について書きます。 (内容について何書くかまだ固まっていないため)

まとめ

本書の効果に続く。

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