The Power of Now

1章とタイトル

解説まとめ『The Power of Now』その6 1章とタイトル

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既に6回目になった当コーナー。

6回目にして、ようやく1章について書いてまいります。

どのように解説していこうか考えたのですが、 やはりというべきか、いつも通り好き勝手適当に書いてまいります。

ただ、ニューアースと同様書きたいことが多すぎて、 おそらく再走すると思うんで、 今回の解説についてはサラッと流していく予定です。

今回は1章と日本語版タイトルについて。

1章 You Are Not Your Mind

まず第1章ですが、本書全体の概要みたいな内容となっております。

『Stillness Speaks』2章冒頭にあるように「The human condition: lost in thought.」が、 人間の「普通の」状態であり、

この「思考の中で迷子になる」「思考に囚われる」「思考の奴隷になる」ことで、 思考に人生を乗っ取られて「時間」「良し悪し」「条件付け」等が生まれ、

その結果、殆どの人間は、誕生してから死ぬまで、 「人生を思考に乗っ取られた」ことにすら気付かないという無意識の状態で活動し、 「日常の些細なこと」から「一大事」まで、毎日毎日、苦しみながら生きているわけでございます。

※無意識状態で苦しまなかった日が1日でもある人は、余程ラッキーな人だろう。 あと、「囚」という文字は、表意文字の傑作の一つだと思う。

そこで、本章のサブタイである「You Are Not Your Mind」を実感することで思考の檻から脱出し、 苦しみから脱出しましょう、ずっと帰りたいと望んでいた「帰るべき家」に帰りましょう、 というのが本書の主題の一つなわけです。

※本書でいう「苦しみ」とは、「身体的な痛み」とは異なることに注意。 実際に思考から少しでも抜け出せたなら、 「俺はこんなに思考の言いなりになって勝手に苦しんでいたのか!!」とビックリしてしまうのだが。

  • 悟り(この訳もどうかと思う)の一番の障害は、 思考を「自分だ」と思い込むこと。思考の奴隷となっていること。
  • なので、Being、「全体」と一体となっていることに気付くこと。実感すること。 「エゴ=思考の奴隷状態」から脱出すること。好きなときに思考を止められること。
  • その前段階として、「思考は自分ではない」と気付くこと、思考を客観的にただ観察すること。
  • 「思考を観察する」とは、頭の中で流れている思考の声をよく観察すること。何度も何度も観察すること。 すると、「思考を観察している者」の存在に気付き、思考の奴隷から解放される。
  • ただし、Being、「全体」などの文字を、頭で理解しようとしないこと。
  • 思考は問題が大好き。問題なしには生きていけないが、実際に問題を解決するのは、思考ではなく閃きである。
  • どうして私たちは思考活動に溺れて思考の奴隷になるのだろう? →「思考=自分」だとカン違いしているから。こうして思考の奴隷になったのがエゴの状態。 「いつかあれが起きたら、ああなったら、私は幸せになり安らぎを得るだろう」
  • 感情は思考の状態に応じた身体の反応。鏡のように映し出されたもの。
  • どの感情もみな「恐怖」と「わたしは不完全である」という根強い感覚、すなわち「痛み」を伴っている。
  • 思考はこの感情の「痛み」を消そうと躍起になるが、思考そのものが「痛み」を生み出しているので、無理。 思考や感情の檻から脱出すると、ネガポジを超えた平安、安らぎを感じる。

本章を適当に抜粋すると以上のような感じで、 要は「思考の夢から覚めましょう」ということで、それについての理論および方法が、 思考に支配されたエゴ状態の人間にも分かるように、 次章から対話形式で長々と書かれているのが本書というわけです。

本書の日本語版タイトルについて

次に蛇足ですが、あまり評判のよろしくない日本語版のタイトルについて、 気付いたことを一つ。

本書の邦題は『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』という、 相変わらず原題とはズレたタイトルなのですが、 これが間違いかというと一概にそうとも言えないのが面白いところ。

「さとりをひらく」を「思考の奴隷状態、エゴの状態から抜け出す」と同義とするならば、 「人生はシンプルで楽になる」のは当然のことだからであります。

なぜ「シンプル」で「楽」になるのかというと、 本書にある鴨のたとえ話やStillnes Speaksの最終章にもあったように、 思考によって作られたストーリーが、人生に入り込まないから。

例えば車を運転中、軽トラが突然割り込んできたとすると、

エゴの状態:「このクソ野郎何てことしやがる!ぶっ○したろうか!!」という状態へと「自然に」陥り、 酷い場合はクラクションとパッシング連打。 コトが済んだ後も「何であんな下手糞が車を運転しているんだ」「交通法を知らんのか」 「あんなのがいるから悲惨な事故が減らないんだ」「ジジババに免許を持たせるな」 などと延々と考え続け、イライラする。

思考の夢から覚めた状態:「目の前に突然車が入ってきた。ぶつからなかった」 これだけ。マジでこれだけ。エゴには到底信じられないが、これだけ。

どちらの人生が「シンプル」で「楽」か、一目瞭然ではないでしょうか。

なので、邦題については間違っているということは一切なく、 むしろ真実であるとは思うのですが、

やっぱり中身と同様タイトルについても、 変更なんてせずに原文をそのまま訳した方が良かったんじゃないかと、 私は思うわけであります。

まぁ、これについても「日本語版には抜けた箇所や改変された箇所がある」 「著者の本意を知りたければ原文読めば良い」だけで済むことなのですが。

次回に続く>>

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