The Power of Now

2章

解説まとめ『The Power of Now』その7 2章 The Way Out of Pain

前回の記事

前回の第1章は

  • この世界における全ての出来事、全ての存在は、フラット、プレーン、ニュートラルであり、 「良い」も「悪い」もない。起きるべくして起き、在るべくして在る。あるがまま。
  • ただし、思考に囚われたエゴの状態になると、「あれは良い」「これは悪」という決めつけをおこない、 その決めつけに基き反応するので、人生に苦しみを生み出すことになる。
  • そして、人類の殆どは「自ら苦しみを生み出している」ことに気付いていないし、 「自分が思考に囚われている」ことにすら気付いていない無意識状態を生きている。

ということで、その対策が本書に載っているというお話でした(多分)。

今回は2章について。

いきなり2章でペインボディが出てくるのですが、 ペインボディについてはニューアースで散々やったので、 今回は簡単に済ませます。

痛み:「全体」から切り離された恐怖

まずペインボディについてですが、簡単にいうと

  • 感情的な「痛み」が積もったものがペインボディ。
  • ペインボディは身体に巣食い、些細なキッカケで暴れ出す。
  • ペインボディに乗っ取られるとネガティブ性をバラ撒き、「痛み」がもっと欲しくなる。

こんな感じで、対処法としては

  • 自分の中にペインボディがあることに気付く。
  • 「不幸な私」というイメージを抱くことで得られる 「いつもの」「惰性的な」独特の満足感に気付く。
  • 「今」に在り、ペインボディを観察することで、 時間によって堆積したペインボディの寄生、つまりペインボディとの同一化を外す。

以上のような感じで「気付き」がペインボディの対策となるのですが、 詳細を知りたい人は本章やニューアースの5章6章でも読んでください。

今回は、ペインボディの「ペイン」について一言。

この「ペイン」、日本語だと「痛み」ですが、これは何かというと、 1章から2章に渡って書かれている通り、 「『全体』から切り離されたちっぽけな自分」 「『全体』から見放された自分は不完全、無力で無価値な存在である」 という「恐怖、怯え」に近い感情のこと。

※この『全体』というのは言葉では表現し辛い。 敢えていうなら「全宇宙」とか「全エネルギー」とか、当座はそういうものだと思えば良いかも。

思考に囚われているエゴの状態では、この隔絶による恐れの感情が「ごく普通の状態」であり、

  • 基本、自分以外の存在は全て敵。(家族さえも。でなきゃ家族間の争いなんて起きない)
  • 無力で無価値な自分は、この世界で何としても生き延びなければいけない。
  • 無力で無価値な自分が生き延びるためには、自分の正当性を証明し、絶対に敵に勝たなければならない。
  • 無力で無価値な自分が生き延びるためには、身体、財産、肩書、知識、所有物などを手に入れて、 自分を大きく見せなければならない。
  • 敵との戦いに勝利し、望むものを手に入れれば、無力で無価値な自分に理想の安らぎが得られる。

このような強迫的な思い込みが常にあり、 この強迫観念に駆られてロボットの如く行動するのですが、

悲しいかな、奮闘努力の末に勝利して望むものをゲットしても、 喜びはほんの一時、生き延びて大喜びしているのはエゴだけで、 理想に抱いていた「平安、安らぎ」とは程遠いという、 何とも皮肉な結果が待ち受けているのです。

そこで、心理セラピーを学んだりナントカメソッドをやったりして、 「痛み、不安、恐怖を解消しよう」「望む平安、安らぎを”得よう”」 と思考であれこれとやってみるのですが、

この「痛み」の根本原因こそが、他ならぬ「思考に囚われていること」であるため、 火を消すのにガソリンを撒くのと同じことになり「思考による痛みの処理は全て無駄で逆効果」 というのは本書にある通りで、かくいう私も体験してきた通りであります。

失う道

こんな感じで、外面は人間の形をしていても、 中身はキカイ…というかロボット…?と同様な生き方をし、 苦しんでいるのが「普通の」人類であり、

ロボット状態から抜け出そうと心理セラピーやらナントカメソッドをやってみるも、 結局上手くいかなかった人間が最終的に手を出すのが、 本書のような「悟り系」ではないでしょうか。

ただ、悟り系に手を出した際、十中八九やらかすカン違いがあり、 それは「悟りは”得る”もの」「何かを”得る”のが悟り」 「悟れば何かをゲットできるだろう」というもの (私がやらかしたからよく分かる)。

賢明な方なら既にお分かりでしょうし、2章のラストあたりにもありますが、 ここで明言しておくと、所謂「悟り」とは、何かを「得る」ことではございません。

真実は逆で、「失う」ことこそが、 長い間ずっと求めていた「平安、安らぎ」に至る道なのであります。

もっと言うと「肉体が滅び去る前に、喪失や死を体験してみる」 「自分が考えている『私』を失ってみる、『私』と決別してみる」道であり、

具体的に言うと、エゴ(つまり思考)が 「これは重要だ!何が何でも守らなきゃならん!」「死守せにゃならん!!」と考えているもの、 所持品、金、名声、知識、人間関係、健康、役割etc...を、1つ1つ手放していく道なのです。

※お釈迦様が初転法輪にて四諦を説かれたとき、 「何かを”得れば”苦しみがなくなります」とは言わなかったし、 ラマナマハルシは若いときに何かを「得る」体験をしたから後に聖者と呼ばれたのではない。

こういう喪失については、ちょっと考えみただけで 「こんな貴重なものを失うなんてとんでもない!もう生きていけなくなる!」 「やだ怖い…やめてください…インクレディブルハルク!」といったように、 エゴは激しく抵抗するのですが、

実のところ、 どっちみち何十年かしたら全部置いてこの世からオサラバする羽目になるので、 そんなものはエゴが考えている程、大層なものではないのです。

とはいっても、喪失の道を往くからといって、 わざわざビルから飛び降りたりFXに全財産ぶっ込んだりする必要はなく、 本書等にあるように

  • まずは自分が思考に囚われた状態、狂気のロボット状態であることに気付く。
  • 自分が何を重要視しているのか、気付いて観察する。
  • 「外部の刺激を知覚→『良し悪し』の決めつけ→リアクション」という、一瞬で起きるプロセスに気付いて観察する。
  • 自分自身に問いかけ色々。「私と今とは、どのような関係だろうか?友人?手段?障害?敵?」 「私がこの問題を問題として扱わなくなったら、一体どうなるだろう?」 「たった今、私のしていることに安らぎや平安はあるだろうか?」 「苦しんでいるのは一体誰だろう?」
  • 今に在り、思考を止める。「私の物語」を語るのを止める。
  • 思考を止められない、感情を止められないなら、もうそれが「今の状況」なので、 最早コントロールするのを止めて「たった今」全部お手上げ状態になる。

こんな感じのことを適当にやればOKだし、 やってみるだけで、何かの拍子に「思考を超えた何ともいえない安らぎ」 「今までず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと切望していた平安」を体験できるので、 興味ある人はやってみればよろしい。

ただ、こういうことを頭でウンウン考えてもあまり効果ないし、 「これをやれば”いつか”解放されるだろう、気分が良くなるだろう」 などと思うのは紛れもないエゴの考えで、あるのは「たった今」だけということをお忘れなく。

以上、何か2章の解説とちょっとズレてる気がするけど、お次は3章。

次回に続く>>

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