悟り

たとえ話

悟りについて私なりのたとえ話

現在『The Power of Now』の解説記事を書いている最中ですが、 本書の冒頭には悟りについて、物乞いのたとえ話で説明している箇所があります。

こういう悟りに関するたとえ話や寓話というのは、 鏡だったり新大陸だったり湖だったりと色々あるのですが、 今回は、私の頭に浮かんできた悟りについてのたとえ話をいたします。

私的にはしっくりきている話なのですが、合うかは人それぞれだし、 そもそもが月並みなたとえ話なので先駆者は大勢いらっしゃるだろうけど、 モノは試しなので書いてまいります。

あと、以下の話は外面的物理的な話ではなく、あくまで内面的形而上的な次元の話だし、 それぞれが何の比喩で何を表現しているのかは、読み手の方々にお任せいたします。

雲に覆われた世界

あるところに、雲に覆われた世界がありました。 その世界に住む人々は、天気同様、ドンヨリとした感じで毎日を過ごしておりました。

たまに晴れたりすることもあるのですが、晴れるのはほんの一時でありました。

むしろ、晴れるよりも大雨になる場合が多かったのですが、 それ以外はやはり、毎日が雲に覆われた、相変わらずな日々だったのでした。

ただ、住人たちは別に雲の下でドンヨリと過ごすことが好きだったわけではなく、 本音を言えば「快晴」を切望しておりました。

なので、

  • 雲を取り除くためのメソッドの学習。
  • 雲を取り除く効果があると謳われているグッズの購入。
  • 「晴れた気分」になっていれば曇天でも晴れる理論の実践。
  • 「今日もいい天気」と一万回唱えて晴れを引きつける。

といったようなことをやり、 何とかしてお天道さまの光を手に入れようとしておりました。

その結果、毎日快晴になったかというとそうはならず、 たまに晴れた時には「大成功だ!」「効果あった!」と大騒ぎこそすれ、

結局は雲に覆われた下で「数珠を握って空拝む」をやっていたに過ぎず、 全て徒労に終わったのでした。

雲を超えて

ところで、ここに一人の素っ頓狂な人間がいて、 何と「雲の向こうに行ってみる」などと言い出したではありませんか。

  • 雲を超えるなんて意味が分からない。そもそも不可能だ。
  • 「雲に突入すると、雷に打たれて全てを失う」という言い伝えを知らないのか。
  • お前もう生きて帰れねぇな?

という様々な声が聞こえ、それは当の本人も承知していたし、 何よりも大それたことをする恐怖があったのですが、

それ以上に、雲に覆われて毎日ドンヨリと過ごすことに対して 「もう沢山!もう充分だろう」と感じていたのです。

そしてある日、その頓狂者は誰にも告げずたった一人で、 雲の向こうを目指して出発したのでした。

ジェットだったのか徒歩だったのか、ルートはどんなだったのか、 そういう手段や道筋については、ぶっちゃけ適切なのを思いつかなかったので、 読み手の方々にお任せいたします。

本当に申し訳ない。 (ただ、一つ挙げるとするなら「身軽」だったってことかな)

ともかく、出発してからも声や恐怖は依然として続いていたのだけど、 そのようなものは全部そのまま放っておいて、 高度千メートル、2千メートル、3千メートルと、 ただひたすら頓狂者は進んでいきました。

すると不思議なことに、ただ進んでいるうちに、 あれほどうるさかった声や恐怖といったものは消え去っていったのです。

そして、高度1万メートルあたりに到達し、ついに雲を突破したとき、

「おお!なんてこった!こういうことだったのか!!」

となったのです。

そこに留まったり、 そのまま突き抜けてTo Infinity and Beyondする人々もいることを知ったのですが、

頓狂者は再び地上の家に戻り、その後「幸せ」かどうかは知らないけど、 もはや雲などに囚われることなく、平安のうちに生きましたとさ。

おしまい。

あとがき

というわけで、私なりのたとえ話でした。 こんなのアップしゃちゃってさぁ、恥ずかしくないのかよ。

もっと平易な文章で簡潔に書きたかったのですが、 書いているうちに何かおかしなことになりました。

まぁ言いたかったことは一通り書けたし、やっぱこういうのは才能なんだな、 お釈迦様やキリストは凄い!と実感させられた次第でございます。

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