解説『The Power of Now』その11

前回の記事

前回、本章についてもう一つ書くことがあり、 いつ書くか迷っていると申しましたが、 出し惜しみしても仕方ないので今回さっさと書いてしまいます。

大体「次回の再走時に書こう」なんて思っていても、 その頃には十中八九忘れてしまっているし、

実のところ、当サイトの記事を読んで一番影響を受けているのはおそらく私自身なので、 他ならぬ自分の為に書き留めておきます。

全ての「源」は自分の内にある

本章の3節には、 自然の美を認識することについて書かれており、

これは、「広大な宇宙や夜明け前の静寂、自然の美に圧倒されるとき、 その形のない広大さや静謐や美は、紛れもなく私の本質の中にも存在する。 存在するからこそ認識できる。それは人生のあらゆることよりも深遠である」 という、ニューアースの記述と大体同じだと思いました。

※また、本章3節には「今に在ることで初めて美を認識できる」と書いてありますが、 あなたも私も「既に今に在る」というのは、前回書いた通り。

つまり、美を認識することが可能になる「エッセンス」 「源」というのはこれを読んでいるあなたや私の内にあり、 それは美だけでなく「怒」「恐」「妬」といったものも同様だということです。 (でなきゃ美と同様、怒,恐,妬なんて認識できない)

さらに、美を認識できるのは別に聖人や一般人だけでなく罪人の内にもあり、 怒りや妬みといったものは聖人の中にもあるということです。 (罪人は美を感じない、罪人は怒,恐,妬しか感じない、ということはない)

※もっと具体的に分かりやすく?いうと、 ミニファミコンやミニスーファミをやった時、ある種のノスタルジアを感じるならば、 そのノスタルジアの「源」は、それら古臭い単調なゲーム(さらに言うとただのドットの集まり)にあるのではなく、 自分自身の内にあることが理解できるか? もし古臭いゲームの方に「源」があるならば、今の小学生達も全く同様のノスタルジアを感じるはずである。

そしてその「源」は、それから発現する全て、喜怒哀楽、美醜、善悪ナド、 全てが揃った「全体」であるから「完璧」なのであり、

その「全体」から切り取った一部だけ、 たとえば「美」や「楽」や「善」だけを指して「完璧」と呼ぶなら、 そんなものは「条件付けの完璧」「エゴが作り上げた理想」だということであります。

※当たり前だが、こんな「たった今、あるがままで完璧」なんて、エゴには全く理解できない。 かくいう私も「冗談じゃない!だって○○、△△、□□(理由なんて軽く百は思い付く)じゃないか!」 という考えが浮かんでくるが、それらは間違いなくエゴの声。

そういった「全体」「完璧」などが的確に表現されたのが『シッダールタ』最終章の、

「人間は全面的に神聖であるか、全面的に罪にけがれている、とうことは決してない。 そう見えるのは時間が実在するという迷いにとらわれているからだ」 「罪びとの中に、今、今日すでに未来の仏陀がいるのだ。彼の未来はすべてすでにそこにある」 「世界は不完全ではない。完全さへゆるやかな道をたどっているのでもない。 いや、世界は、瞬間瞬間に完全なのだ」

などなど、ここでは書ききれないシッダールタの台詞ほぼ全てであり、

そして最後の一文

「その人の微笑が彼に、彼が生涯の間にいつか愛したことのあるいっさいのものを、 彼にとっていつか生涯の間に貴重で神聖であったいっさいのものを思い出させた」

であると私は思うのですが、いかがでしょうか。

リアクションの対象よりも「源」に意識を

以上、「全てが揃った”源”は、あなたの内にある」ということで、 何が言いたいのかというと、

何かを知覚して「良し悪し」「快不快」の決めつけをし、 それに対してリアクションを起こしてエゴを強化する際、

どうしてもそのリアクションを起こした対象の方に意識や注意が向いてしまうのですが、 折角なので?リアクション対象の方ではなく、 リアクションを起こした「源」の方に意識や注意を向けてはいかが、 ということであります。

例を挙げると、

※ただ注意を向けるだけ。「これは悪い感情だ」とかいって抑えようとしても無理だし逆効果。 あと、「源」がしっくりこないなら、本書に従いStillnessとかUnmanifestedとかでもおk。

本来は、リアクションしないことが理想なのでしょうが、 「そうか!決めつけてリアクションすることが苦しみを生み出しているのか。 じゃあこれからは決めつけてリアクションなんてしないぞ!」 という決心しても、こんな決心で上手くいく人は1000万人に1人もいないでしょう。

「また決めつけてリアクションしてしまった…俺はなんてダメな奴だ」 なんていう「決めつけ」をして、更に苦しんでしまうのがオチです。

なので、決めつけてリアクションする「無意識プロセス」は抑え込まずにもう放っておき、 それらの決めつけ、リアクション、思考、感情ナドが湧いてきた「源」の方に注目してはいかが、 注目していたら何か分かってきますよ、と申し上げておきます。 (まぁ本書にある通り「決めつけに気付く」でも充分おkだけど)

あと、「全ての”源”は自分の内にあるんだ!やったぁ!!」と 頭で理解できて感動しても、その感動は3日くらいで移ろい過ぎ去っていくので、 やっぱ思考や言葉を超えたところ「移ろうことのない何か」で実感するのが一番です。

以上のことは表現が変わっただけで「感情の直接体験」等とあまり変わらない気がするし、 そもそもこういうのは言葉では表現し辛いし、やっぱり本章とズレている気がするけれど、 今回はここまで。

次回は6章になります。

次回に続く>>

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