Oneness With All Life

5章

読書メモ『Oneness With All Life』5章

前回の記事

今回は5章のインナースペースについて。

9章のサブタイが「インナーボディ」で、私なんかは 「インナースペースとインナーボディってどう違うの?」と思ってしまいます。

インナースペースは思考から解放されたスキマ空間みたいなものに対し、 インナーボディは身体を媒介として感じる空間みたいなもの

だとは思うのですが、こんな思考や言葉でラベリングなんてしても何の意味もないし、 最終的には所謂「Unmanifested」と呼ばれる源に行き着くと思うので、 定義付けは各自の好きなようにすれば良いのではないでしょうか。

5章 INNER SPACE 前半

  • When consciousness is no longer totally absorbed by thinking, some of it remains in its formless, unconditioned, original state. This is inner space.
  • 殆どの人間の人生は、モノ−物質、やるべきこと、考えることで雑然としている。 彼らのマインドは次から次へと生まれるグチャグチャな思考で満たされている。 これが殆どの人間にとっての物質的意識の次元という「現実」であり、 彼らの人生がバランスを欠いている理由である。
  • バランス−私は物質的な意識だけでなく、存在的、空間的な意識であるということ。 人生の出来事や状態といった形の背後に静寂や形のない領域、存在に気付いたなら、 それこそが空間的意識である。
  • 私は単なるモノ、対象物としての意識ではなく、意識という存在であると気付きは教えてくれる。 もし物質的次元の出来事や存在の背後にStillnessを感じることができるなら、まさにそれだ。
  • もはや思考をはじめとする形に「私」を同一化しなくなったとき、 「私であるもの」という意識が、形という牢獄から解放される。 その解放が、インナースペースの出現である。
  • そのインナースペースはstillness、深遠なる平和として私にやってくる。 たとえ私が、「悪い」と思えるような状況や出来事と対峙していても、である。
  • 突然、私と人生の状況や出来事との間にスキマができる。 私と「良い気分、悪い気分」との間にもスキマができる。 そして、とりわけ思考と私との間にスキマができる。 そのスキマはこの世のものではない、つまりこの世の「形」ではなく空間であり、 それこそが神の平安である。
  • 今や、私はこの物理的世界の様々な形を、 それら形が本来は持っていない重要性や意義を与えること(つまり私との同一化)抜きで楽しみ、 尊重するようになる。
  • 私は創造のダンスに参加し、活動的になるが、結果についていちいち一喜一憂しなくなるし、 もはや「私を満足させてくれ」「私をハッピーにしてくれ」「私を安全だと思わせてくれ」 「私が何者か教えてくれ」などという下らない要求はしなくなる。
  • そもそも、この物質世界はそんな要求に対する回答を私に与えてくれないし、 そんな下らない要求をしなければ、自分で作っていた苦しみは終焉を迎える。 苦しみは、形への過大評価とインナースペースの次元に気付かないことが原因だから。
  • インナースペースの次元が人生に発現したとき、 私は、自身をモノや経験に溺れさせ執着させ失わせることなく、 それらモノや経験を楽しむことができる。 いわば、この世界に対する執着無しに、この世界を楽しむことができるようになる。
  • 空間の次元が失われたとき、この世界の諸行がもの凄く重要なことに思え、 本来はありえない深刻さや重大さが発現してしまう。 この世界を形のない視点から観察しないと、 この世界は恐ろしく、究極的には絶望しかない世界になる。

5章 INNER SPACE 後半

  • 思考の流れにスキマをつくることで、インナースペースを発見せよ。 このスキマがなければ、私の思考は何度も繰り返されるくどい、 退屈でマンネリな、閃きとは程遠い思考となる。しかも人類の殆どがこの状態である。
  • 思考の絶え間ない流れにスキマをつくるのは、ずっと続ける必要はない。 数秒間で充分。段々と何の努力も無しにひとりでに長くなっていくから。 むしろ、長さよりも頻度が重要。
  • 呼吸を数回観察すれば楽。何時間瞑想するよりも呼吸数回の方が良い。 呼吸は身体に宿る知性が自然におこなっているものだから、その自然を観察すればよい。 私は「呼吸する者」ではなく「呼吸を観察する者」となるし、実際そうである。緊張も努力もいらない。
  • 私が出来事や他人や状況に動揺しているときはいつでも、 真の原因はその出来事や他人や状況にあるのではなく、 思考や時間を超越したインナースペースだけがもたらしてくれる真の見方や考え方を、 私が失ったことにある。
  • インナースペースを発見する最大の障害、 「経験する者」「形なき私という存在」を見つけるのに最大の障害は、 私がその物質世界の経験に魅入られて私自身を失っていることである。 意識が物質世界という夢の中で失われることである。要するに、思考や感情の奴隷となっていること。
  • 私は全ての絶え間ない思考、全ての絶え間ない感情、全ての絶え間ない体験に囚われ、 この現世で夢の中にいる状態となっている。しかも、その夢見状態が「普通の状態」となっている。 ゆりかごから墓場まで、ず〜〜〜〜〜っと「普通の状態」が続く。
  • 人生で初めてインナースペースを感じるとき、 物を探したりテーマパークで体験するみたいにインナースペースを探しても、見つからない。 ピン留めして手に入れようとしても手に入れられない。 これが人生におけるジレンマというか逆説である。
  • ただの「存在」を、何も付け加えずに、今、ただ感じる。 全ての条件付けは放っておく。これもインナースペースを感じる方法である。

以上、今回はここまで。次回は6章。

次回に続く>>

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