ニューアース

第1章その3

解説まとめ『ニューアース』2018版 第1章その3

前回の記事

前回は、 「『気付き』それ自体がエゴを超越したもの」 ということについて書きました。

今回は三節「Our Inherited Dysfunction」で、 直訳すると「私達の受け継がれてきた機能不全」となり、

「人間の歴史は戦争の歴史なんだな」というマーズのセリフみたいな ニュアンスのサブタイです。

※マーズといってもゴッドマーズじゃなくて漫画版『マーズ』の話。

1章三節 人間に固有の機能不全 Our Inherited Dysfunction

「人類の歴史は戦争の歴史」なんて書くと 「私は反戦主義者だから機能不全なんてない」などと思う人がいるかもしれませんが、 それは全くの大間違いで、

普段の生活で誰かと言い争いをしたり、他人をウザいと感じたりするなら、 それは当節に載っている一次大戦やスターリンやポルポトの所業と「構造的に全く同じ」であり、 当の本人がそれに気付いていないだけです。 (もしくは気付いているけど自分がスターリンやポルポトと同様だと認めたくない)

さらに「(俺が正しいのだから)他人をウザいと思ったり言い争うのは『普通のこと』だろ」 などという思い込みがあり、 こんな状態を「普通のこと」だと思えるのは最早「狂気の沙汰」としかいえません。

2017年版の解説記事でも書いた通り、

  • 自分の大事な物が壊れたりすると人生の終わりのように感じる。
  • 自分の欲しいものを得ると自分が大きくなったように感じる。
  • 現在の自分の平凡な暮らしがが嫌で仕方ない。
  • 自分の自尊心を傷つけられるとすぐ反論する。
  • 自分や他人を外見や所有物や肩書で判断する。
  • 他人や自分の状況に不満を言わずにいられない。
  • そして何より、自分の頭の中の声が自分だと思っている。

こういうのを「普通」だと思うなら、 あなたはスターリンやポルポトと同じことができる、 少なくともアドルフ・アイヒマン程度のことはやってのける「普通の人」だということです。

もし自分を客観視できない、自分の「普通の状態」に気付けない場合は、 ネットサーフィンでもしてみればよろしい。

至る所で争い、対立を発見することができ、 「某球団ファンVS某球団アンチ」「ネト○ヨVSパ□ク」というような対立を観察してみると、 主義主張の中身は正反対で異なれど、 「俺が正義でお前が悪だ」「存在してはいけない悪は滅ぼしてしまえ」等の本質的な構造は、 対立している両サイドとも全く同じだということが分かるでしょう。

※自分がどちらか一方に傾倒していると気付けないかもなので、 まずは比較的中立的に見れる争いを観察してみよう。 かくいう私も、当サイトで「くたばれキラキラ☆ハッピー系」と散々バカにしていたら、 自分がそのバカにしていたキラキラ☆ハッピー系と同等だと気付いて愕然としたというのは、 以前書いた通り。

これこそが、文明が誕生してからかどうかは知らないけど、 大昔から現代に至るまで延々と受け継がれてきた「機能不全」つまりエゴであり、

この「機能不全」に気付かずに「普通のこと」だとしてきたから、 個人でも集団でも、いつまでたっても対立や争いがなくならないのであります。

1章三節 「〜なければならない」も機能不全

そしてもちろん、この機能不全というエゴはあなたや私にもあるので、 そのエゴに気付いていこうというのが2章から4章のテーマとなっております。

ただし、こんなの読んだからといって、 「エゴの原因である恐怖や欲望を捨てよう!」「改心して良い人間になろう!」などとやっても、 エゴ的高揚感を得て自己イメージが強化されるだけでまったくの無駄!

「理想を追求した結果、地獄を生み出した共産主義みたいになるのがオチ」 というのは当節にある通りで、これは国やコミュニティだけでなく、 一個人でも全く同じです。

要するに、

「怒ってはいけない」「執着してはいけない」 「良い気分でいなければならない」「社交的でなければならない」 「形に囚われず無我の境地に至らなければいけない」…

などという、できもしない下らない決心は、 「〜ではいけない」「〜でなければならない」という概念が思考に追加され、 エゴが強化されるに過ぎないのであります。

この「〜ではいけない」「〜でなければならない」状態も、他ならぬ機能不全の一部だし、 「『(エゴのない)良い人間になろう』などと思ってもなれるものではない」 というのは当節にある通りで、

「既に自分の内にある『善』に気付き、それを引き出すしかない」 というのも当節にある通り。

ただし善を引き出すには、 思考の追加や上塗りのようなインスタントな手段ではなく根本的な意識の変化が必要となり、 意識の変化には準備を要するということです。

ここで私が気付いたことを一つ。

著者が『The Power of Now』の中で質問者に対して懇切丁寧に答えているのを読んで 「このオッサン我慢強いなあ、こんな質問されたら俺ならキレるで」 などと思っていたのですが、

著者のエックハルト・トール氏は別に我慢強いわけではないし、 「丁寧に答えよう」「大らかな人間にならなければいけない」と考えていたわけでもないし、 頭の中で「他人に対する態度が自分に返ってくる」等の珍妙な理屈をこね回して 自分を納得させていたわけでもないのです。

「全てが一つである」と、思考を超えた領域で分かっていたから「自然とそうなった」 「自然と質問者を他人と思わなくなった」というのが本当のところで、

これこそが前述の 「既に自分の内にある『善』に気付き、それを引き出す」だと今の私は思うわけです。

※ラマナは無礼な質問者に対して不機嫌になることもあったみたいだけど、 それはまぁ人それぞれだろう。

じゃあ結局「自分の善を引き出す」ために何すりゃいいのかというと、 前回書いたように、

自分がたった今考えていること、していることに「気付き」「観察」する

たったこれだけなのであります。

以上、今回はここまで。

次回は1章四節と五節。

次回に続く>>

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