第3章三節から四節:解説まとめ『ニューアース』完全版

前回の記事

前回は

「不満や恨みごとを言っても何の得にもならない。喜んでいるのはエゴだけ」 「まずは不満や恨みごとを考えたり言っている『自分』に気付こう」

ということを書きました。

今回は三節と四節で、 三節は二節の続きみたいになっており、 ぶっちゃけると解決策も前回と同じです。

というか、本書に書かれている「狂気の世界」「気違い沙汰」の解決策なんて、 どれも同じで「気付き」なのですが、

原因が同じなので解決策が同じなのは当然だし、 もし1つ1つのケースごとに解決策が異なるならば、 それはそれでえらいことになるので、 やっぱ同じで良かったというのは昨年の解説で書いた通り。

3章三節 反応と怨恨 Reactivity and Grievances

今回は「反応」と「怨恨」についてで、前回やった「不満」と「恨み」のパワーアップ版、 ポケモンでいうならリザードンやカメックスみたいなもんです。

※私がやったことあるのは初代の黄色(ピカチュウ)のみで、 何も知らずに「あなをほる」をリザードンに覚えさせ、 ちょっとズレてるかなと思い消して後悔したのは今でも覚えている。 ちなみにピカチュウはすぐに戦力外通告となった。

まぁそれは置いといて、それぞれの説明については以下の通り。

このような感じで反応も怨恨もエゴが生き延びるのに役立っており、

さらに、怨恨をずっと抱き続けていると、 現在の状況や目の前にいる人に対する解釈の仕方や接し方が歪められ、 怨恨が1つあるだけでロクでもない人生になってしまうとのことで、 身に覚えがある人も多いことでしょう。

こういう反応および怨恨については、「普段の」日常生活の中でよく観察してみれば、 「普通に」やっていることに気付くのですが、自分がやっていることに気付いたとき

「反応してはいけない!」「怨恨を捨てなければ!」などと考えてウンウンやってしまうのは 下策中の下策だというのは今まで書いてきた通りだし、 思った通りにできるなら、人類皆過去の苦しみから解放されているはずです。

なので、まずは自分が怨恨を抱いているか、完全に許せない「敵」がいるかどうか、 正直になること。

これは怨恨に限らず、恐怖や嫉妬とかでもそうなのですが、 「違う!俺は怨恨など抱いていないし敵なんていない!」「俺は恐怖なんて抱いていない!」 「俺は嫉妬なんてしていない!」なんて嘘を吐いても何の得にもならないので、 正直に認めましょう。

※正直に認めるのは敗北したみたいでカッコ悪いと思うかもしれないが、 誤魔化す方がケタ違いにカッコ悪いし、実際、見苦しいことこの上ない。

そして、「自分」の思考や感覚を正直に観察し、 「怨恨はインチキの私、まがいものの自己感覚を強化してエゴを生き延びさせる以外、 何も役に立たない」と気付いたとき、怨恨は自然に落ちるとのことですが、

「怨恨はエゴを強化する以外に何の役にも立たない」といつ気付けるかについては、 私の体験ではある日突然だったので、人それぞれだと思います。

ただ言えるのは、イライラして他人や状況の粗さがしをしたり、 過去の嫌なことを何度も何度も繰り返してその度に当時の感覚に浸ったりすることで 「そんなことして今までに何か良いことが一つでもあっただろうか」と自問してみれば、 少しは何かに気付けるのではないでしょうか。

あと追記しておくと、恨みやら怨恨が落ちたからといって、 当時の嫌な出来事が完全消去されたりすることはありません。

たまに出てきたりはするのですが、 最早その過去と自分を同一化してカッカすることはないし、 過去の出来事は人生の中で重要性を持たなくなるといった感じになります。

3章四節 正しいか間違っているか Being Right Making Wrong

お次は四節ですが、 エゴはもちろん「俺は正しい」 「俺だけがこの世界で常に正しい」といつも思っております。

他人や状況に対して不満を言うとき、 過去の出来事に対して恨みを抱くときは根底に 「俺は正しい、アイツが、あの出来事が悪い」 があるのはもちろんのこと、

たとえ間違ってそれを指摘されたとしても、 「何だアイツの言い方は!あんな物言いしなくても良いじゃないか!」 などと、何とかして自分を正当化、被害者に仕立て上げようとするのです。

何でこんなことをするのかというと、 「俺は正しい」が「俺は優れている」になるから。

2章では「こんなレアアイテムを持っている俺は優れている」 「こんな肩書きを持っている俺は優れている」でしたが、

前回も書いた通り、 そんなレアアイテムや肩書を持っていなくても、 「俺が他人や状況よりも正しい」ならば 「俺は他人や状況よりも優れている」になるわけで、 これによりエゴを強化できるわけです。

こうやって文字にするとまさに気違い沙汰ですが、 「普通の」人間が「普段の」生活で無意識にやっていることが、 モロにこれらではないでしょうか。

そしてこれら気違い沙汰の根底にあるのは、

「私は『全体』から切り離されたチッポケな存在だ」 「なので、私こそが優れていないと、少なくともそう思っていないと生きていけない」

という、エゴの恐怖に基づく強迫観念なのです。

最後に、こういうこと書くと勘違いする連中がいるだろうから言っておきますが、 何か嫌なことをされたら抗議すれば良いし、犯罪に遭ったら通報すれば良いし、 嫌な環境にいるなら移れば良いし、病気なら医者に行けば良いのです。

ただし「自分は被害者」「自分は正しい」 「自分は優れている」とやっていることに気付かない限り、 苦しみは死ぬまで続くということであります。

以上、今回はここまで。

第3章五節から六節に続く。

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