第4章十八節から二十節:解説まとめ『ニューアース』完全版

前回の記事:4章十六節から十七節

前回は「自分がたった今考えていることを観察しよう」 「自分がたった今していることを観察しよう」 という、いつも通りのことを書きました。 (内容はいつも通りで、「実践できる人がどれだけいるか」ということも、やっぱりいつも通り)

そして、長かった4章も今回でやっと終わりです。

こんな長ったらしい記事を読んでいる人が果たしているのか、 前年の2017年版の方が良かったんじゃないか等思わなくもないですが、 思ったところでどうにもならないし、 少なくとも私自身は書いたり読み返したりしてためになっているので書いていきます。

4章十八節 病気とエゴ The Ego in Illness

まずは病気とエゴということで、

なんてことが書いてあります。

これについては自分の病気をネタにして 健康法やら何やらを宣伝している人なんかがドンピシャで当てはまり、 そういう人達は最早病気がアイデンティティと化していて 「今日は○○の診察でした〜」「○○にはこれがオススメ☆」 というような記事を書き続け、

そういった記事を読んで 「治ってもいないのに健康法とか紹介しても意味ないんじゃ…」 とツッコみたくなったことは、そこのあなたも覚えがあるでしょう。

また、以前紹介した『快癒力』には「病気にエネルギーを使っているから治らない」 「病気が治らない方が都合の良い人、 つまり、病気が逃げ口上や暇つぶしやアイデンティティになっている人は病気が治らない」と、 当節の内容と同じようなことが書かれています。

じゃあどうすれば良いのかというと、同じく『快癒力』にある、

が一つの答えであるし、

7章十三節にある「『今に在る』ことで形の限界を超える」についても同様で、 余命数年という当初の予想を覆し、 50年以上長生きされたホーキング博士のケースが示す通りです。

※ホーキング博士で思い出したが、 自分の常識や固定観念に変容を起こしたいなら、 引き寄せ本みたいなのを何種類も読むよりも、 『神の数式』見たりNewton読んだりネットで調べたりして 物理学の概要を学んだ方がよほど効果的である。

別に全ての物理学的理論を数式で説明できるようにならなくて良い(私も特殊相対性理論止まり)けど、 ニュートン力学と相対性理論の違い、4つの力、超弦理論、ヒッグス粒子と質量、 磁石を細かくしていったらどうなるの、といった大まかな「一般教養」くらいは知っておいた方が良い。

これらは教科書の中や画面の向こうの出来事でなく、 今まさに自分自身が体験していることなのだから。

まぁ、知るだけ知ってエゴが強化されましたでは本末転倒なのだが…

子供向けだけど、このサイトは分かりやすいからオススメ:https://www2.kek.jp/kids/index.html

4章十九節 集団的なエゴ The Collective Ego

お次は3章七節と被るけど、集団と同一化したエゴについて。

自分に自信がないから会社のために滅私奉公するという、 社畜みたいな例が書かれていますが、 これも単にエゴの中身が「私」から「会社」「会社に属する私」になっただけのこと。

さらに、集団の場合の方が個人よりも 気違いレベルが酷いというのは3章七節で書いた通り。

ただし、私のように 「これだから集団なんてキチガイじみてて嫌なんだ!オレは1人でいたいんだ」 というのも、エゴが集団を拒絶し個人に移行しただけの話。

また、「啓かれた集団」というものが救いの一例として書かれていますが、 そんな集団は絵空事で今のところ実在しないとみなしていた方が、 変なカルト集団に引っかからずに済みます。 (本当に啓かれているかどうかは、その集団や団員に「敵」がいるかどうかで分かる。 内部に派閥があったり団員同士でイザコザがある集団は論外)

4章二十節 不死の決定的な証拠 Incontrovertible Proof of Immortality

いよいよ4章も最終節で、 当節のタイトルは何と「不死の決定的な証拠」であります。

これを見た殆どの人が

「冗談じゃない!人間どころか生きとし生けるものは全て死ぬじゃないか!」 「うちの爺さんやペットの犬が死んだのはどう説明するんだ!」

と思うことでしょう(少なくとも私はそう思う)。

ただ、こんな風に思うのはまぎれもないエゴの声で、 その声を自分の声だとカン違いし、 さらには身体やそれに伴う知覚を自分だとカン違いしているから 「私の命」「私の人生」となるのであり、

そういう思考や知覚、ひいては回帰していく身体が私ではないことに気付け! というのが本書のメインテーマで、 古来よりウパニシャッド哲学等で散々述べられている通りであります。

よって、3章六節にある通り「私が『真理』である」が正解で、 私と生命はひとつなので「私が生命を失う」ということは不可能だし、

事実、人体の維持機能が停止してその活動に終わりを告げ、 身体が腐るなり燃やされて灰になっても、 身体を構成する各原子の配列状態が変わっただけでエネルギーはそのままなのですが、

こんなことを頭で考えてみたところで、 やっぱり死ぬのは嫌だ死ぬのは怖いとなります。

ただ、そのような「やだ怖い…やめてください…ファンタスティックフォー!」 「やだやだ幽々子やだ」なんていう声に気付いたり、 「怖いと思っているのは誰だろう?」と問いかけてみれば、 何かを感じたり何かに気付いたりすることができるわけであります。

※「重要なのは本書の内容ではなく、意識の変容を起こすこと」 という1章の記述を覚えているだろうか。

以上、長かった4章は今回でおしまい。

次回から5章のペインボディについてです。

第5章一節から二節に続く。

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