第10章三節から四節:解説まとめ『ニューアース』完全版

前回の記事:第10章一節から二節

前回は

「頭で考えたり言葉に表現するものは全て相対的真実、絶対的な真実は頭での理解を超えている」 「人生における回帰の動きは形を崩壊させ、どんなに悪あがきをしようとも『私の人生』は必ず終る」

ということについて書きました。

今回は、その回帰の動きと、 人生の動きからエゴを取っ払うとどうなるかについて。

10章三節 目覚めと回帰の運動 Awakening and the Return Movement

まずはこれ。

「私の人生」における回帰の動き—老齢、病、心身障害、喪失、 個人的な悲劇ナドを通して形が弱まり解体するとき、 目覚めの絶好の機会、つまり意識が形との同一化を解消する絶好の機会となるのですが、

エゴはそんなことちっとも分かっておらず 「何かとんでもなく間違ったことが起きた!」 「起きてはならないことが起きた!」などと考え、 理解できずに絶望し、ますますエゴを強化するわけです。

ただし、「起きるべきでないのに起きることなどない」 「全体とその目的の一部でないことなど起こらない」というのが真実であり、

これは2章六節の「人生は、意識の進化に最も役立つ経験を与えてくれる。 今の経験が私に必要だとどうして分かるのか?それは、現に今この瞬間、体験しているからだ」 と同様で、「それは起きているから起きている」のであります。

なので、「私の人生」において回帰の動きが起きたとき、 所謂「人生下り坂」のときは、 少なくともエゴでもって悪あがきせずにジッと観察していれば、 崩壊した形やヒビ割れたエゴの隙間から意識が光を放つのですが、

こんなのエゴには到底理解できないし、 これを読んで「ハイ分かりました」 なんて実践できる人は殆どいないでしょう。

そういう人は、いざ「下り坂」となったとき、 「これは回帰の動きなんだ、(本当は嫌だけど)受入れなくちゃいけないんだ!」などと 自分を無理矢理納得させようとするのでなく、ましてや無駄な悪あがきをするのでなく、

泣いたり怒ったり喚いたりする中で、 それをしているのは一体誰なのか観察し「経験の主体」に気付くしかありません。 そうすれば少なくとも「悲しいし頭にくるけど、平安である」くらいにはなります。

あと運が良けりゃ、死ぬ数ヶ月前くらいに頭がボケてエゴが粗方崩壊し、 光を放ったままくたばることができるだろうから、 その辺は普段から祈祷力を上げておけば良いでしょう。

10章四節 目覚めと外への動き Awakening and the Outgoing Movement

そんなわけで、人生における回帰がおきる際、 それを受け入れることでエゴや形が崩壊するという話でしたが、

別に回帰の段階、老齢や病気や個人的悲劇を待たずとも、 内なる目的に目覚めることが可能であるとのこと。

そのやり方?は、本書において散々語られてきた通りで、 「気付きによってエゴの檻から脱出する」 「気付きにより形との同一化から解放される」ことにより可能であり、

成長と拡大のサイクルからエゴを外すと、外への動き(思考、活動、創造etc.)を通じても、 回帰の動き(静寂、在る、形の解体etc.)を通じるのと同じくらい力強く、 霊的な次元がこの世界に開かれるのです。

エゴが抜けた状態、エゴが脇にやられた状態においては、何をするにしても 活動しているのは「私」ではなく「私を通じた宇宙の知性、意識」になるし、 これといった苦しみやイザコザも生まれないし、 結果も比べ物にならない程なのですが、 こればかりは自分でやってみて、としか言いようがありません。

なお、この期に及んで「どうすればエゴ抜きで活動ができるのですか」 なんて質問をする人間は、本書の1章からやり直してください。

以上、今回はここまで。

第10章五節から六節に続く。

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