解説『ポケットの中のダイヤモンド』その5

前回の記事

今回も前回に引き続いて「止める」について。

止めろ止めろばかりでいささか食傷気味ですが、 本書の前書きにもあるように、 著者は全てを止めて真の平穏を見出したとあるので、 「たった今やめる」が本書の一番のキモではないでしょうか。

ただ、著者は全てを止める前にメソッドだの何だの色々やっていて、 「こんなものはもう充分、もう沢山」となっているので、 ただ単に本書や当解説を読んだからといって腑には落ちないだろうし、 止められるものではありません。

なので、メソッドやら「新しい別の教え」やらに未練のある人は、 気が済むまで続けて、その効果の無さに失望した方が良いし、 それも必要な経験ではないかと思います。

「止める」とは何か?

とはいっても「止めろ」については前回で大体書いたので、 今回は補足みたいなもの。

まず前回ラストで「私がそこから逃げ出そうとしているものは、実は最終的には存在せず、 私が追い求めているものは、既に、そして常にここにある」 と書いたけど、

その「逃げ出そうとしているもの」と 「追い求めているもの」がイコールだということはP.111にある通り。

次に、止める止めるといっても、その「止める」とは一体何?ということなのですが、 これはP.138辺りに書かれている

「止める」とは、思考が浮かんだとき、私には選択肢があることに気付くこと。 「思考をマインドで追いかけるか、それとも、ジッとして思考が浮かぶにまかせるか」という選択肢に気付く。

つまり、「止める」とは、思考に思考を重ねないこと、 過去の出来事や未来の予想を頭の中で繰り返して妄想にふけらないこと。

マインドを静止させる選択肢を選ぶとき、思考の有無にかかわらず、 常にジッとして動かない存在に気付く。

ということで、止めるとは「思考の奴隷から抜け出すこと」、 少なくとも「自分が思考の奴隷になっていることに気付くこと」であります。

この辺は『ニューアース』や『The Power of Now』で散々書かれていたことだから 分かる人は分かるでしょう。

止まった状態

で、上記のようなことを読むと次に出てくるのが、 「どうすれば『止まった』状態に留まることができるのか?」 「『止まった』状態になると一体どうなるのか」 というような質問なのですが、

回答としては、

となります。

上の質問に限らず、 「止まりたい」「悟りたい」「止まった状態になって著者のようにハッピーになりたい」 などというのは全てマインドの動きで、

その動きに気付き、観察し、経験しているのが「静寂(無、意識、今etc.呼び方色々)」なわけで、 いくらマインドでもって探し求めても静寂は決して見つからないわけです。

※丁度孫悟空とお釈迦様の関係というか、二次元からは三次元は認識できない(多分)というか、 そんな感じ。なので「止まる」以外に手段はない。

また、「止まったら一体どうなるか」なんて一定の決まりなどなく、著者みたいになるかもしれないし、 キリストみたいになるかもしれないし、特に何も変わらないかもしれないし、 「ガンガジとの対話」にあったように気が狂って外を走り回るかもしれないし、 私のように「いじめの実態」という動画を見て大w、涙を流すかもしれないし そのままこの世からオサラバになるかもしれません。 (これはニューアースのラス前に書かれていた通り)

そんなことを考えるのも他ならぬマインドの動きなので、 一体何を考えているのか観察し、 そんな疑問なんて分からないまま放っておけばよろしい。

以上、今回はここまで。

次回に続く>>

内面世界の記事 変化を起こして現状を打開する

メニューに戻る

ページのトップへ戻る