解説『釈尊のさとり』その5

Tweet

前回の記事

ここまで、お釈迦様が菩提樹の下で悟られた内容について書いてきました。

釈尊のさとり (講談社学術文庫)

釈尊のさとり

今回は正覚者の孤独と梵天勧請について。

しかし、これといった過激派や原理主義者がいないため 結構好き勝手書けるので、やっぱ仏教は良いと私は思います。

日本で過激派といって思いつくのは比叡山と本願寺くらいだもん。 まさか比叡山や本願寺が何をしてきたか知らない人はいないだろう。 (あと、現代の仏教系新興宗教やカルトは除く)

正覚者の孤独

ともかく、お釈迦様は菩提樹の下で

「十二縁起や八苦というものがあり、諸行無常の世において、無明があるから執着し、 その執着している対象が無常であることが分からないから苦しむ」

「なので、知をもって無明を滅せば執着がなくなり、執着がなくなれば苦がなくなる」

みたいなことを悟ったわけですが、その後すぐに孤独を味わったとのこと。

何でそんなことになったかというと、 本書のP.53あたりにあるように

なんてお釈迦様が思われたからで、 これが「正覚者の孤独」であります。

この「正覚者の孤独」については私自身も大いに心当たりがあり、

何年も前に淫夢動画でゲラゲラ笑っていたとき 「もしかしてこんな動画で笑っているのは私だけなんじゃないか」 「自分は変なんじゃないか」などと孤独や不安を感じたものですが、

今や淫夢は中国全土はおろかスカンジナビアから南米大陸に至るまで伝播しているので、 やはりそういうものなのでしょう(どういうものだよ)。

梵天勧請

私のバチ当たりな話は置いといて、 お釈迦様は孤独を感じられていたとのことですが、同時に

閃いたこの教えに沿って生きていけばいいんじゃね? 別に孤独でもいいじゃん

とも思われたとのこと。

ただ、悟りの内容を他人に教え広めることについては当初 「何で広める必要があるんですか」という態度だったのですが

そこへ梵天(ブラフマー)がやってきて、 「You広めちゃいなよ」と勧めたそうで、 これが所謂「梵天勧請」であります。

※ここで私個人の意見を言わせていただくと、 この梵天勧請といい生まれてすぐ七歩歩いた話といい、 何でお釈迦様個人を神格化するような嘘を広めるかなあ、 教え自体は良いのだから誰だか知らんけど余計な嘘なんか吐かなきゃいいのに、なんて思う。

ともかく、じゃあ教えを広めるかと考え直したお釈迦様は 以前苦行林で一緒に修行していた5人と出くわすわけであります。

シッダールタが5人と再開してから初転法輪に至る経緯については、 『ブッダ』では既にアッサジがいなかったりと描かれ方が結構メチャクチャだし、 『リトルブッダ』に至ってはシッダールタが悟ったところでお釈迦様パートが終わるので、 本書や他の書籍を参考にした方が良いかも。

リトルブッダ
リトルブッダは私の大好きな映画だが、人によっては退屈に思えるだろうから、 右側の映画をお勧めする。

※メチャクチャといえば『ブッダ』の前半で描かれているダイバダッタの少年期エピソードで、 小学生の頃は当たり前のように読んで「ダイバダッタかわいそう」なんて思っていたが、 見直してみると手塚御大の趣味丸出しで 「これ絶対楽しんで描いていただろ」と思えてしまうのは私だけだろうか。 まぁそれでも『ブッダ』が名作なのに変わりはないし、 手塚漫画のせいで性癖が歪むようなことがなくて良かった(ほんとぉ?)

今回はかなり端折っている気がするけど、気になる人は本書を読んで頂戴。

次回は初転法輪の内容について。

次回に続く>>

内面世界の記事 変化を起こして現状を打開する

メニューに戻る

ページのトップへ戻る