エゴとは何か

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前回の記事

前回は、読者様からの「悟るために努力は必要か」という質問に対して、 「自分を観察する努力は必要かも」という回答をいたしました。

今回も前回の質問の続きで、 もう少し掘り下げてあれこれ好き勝手に書いてまいります。

既に悟っているのに努力は必要か?

まず、

顕在意識であれこれ考えていても結局はなるようにしかならんということだと思うのですが、 これは自分が思考停止したり、 マインドを観察しようがしなかろうが出来事は起こるということですよね?

(中略)

自分が努力しようがしなかろうが、それは在るのだから、 だったら思考しようが行動しようが自由だと思うのですが、 東大六郎さんは意図的な努力、悟りに対する努力についてどう思われますか?

現状を変えるために行動するのは必要だと思いますが、 真理や悟りに関しては努力というものは必要なのかよく分からなくなっています。

という、 「人間は元々悟っているのだから、努力は必要ないんじゃないの」 といった感じの意見(そういう意味で書いたのではないかもしれないが) に対する私なりの回答は、

となります。

これは何というか、

「全てはエネルギーの配列で、あなたも私も存在しないのが絶対的真実なのだけど、 でもやっぱり生きていたらエゴ(思考による自我)があり、それに伴う苦しみもあるよね」

「光速こそが一定で、時や空間なんて速度次第で歪むのが絶対的真実だけど、 でもやっぱりこの世界にはニュートン力学も必要だよね」

みたいなもので、

確かに、あなたも私も「元々悟っている」が真実なのだけど、 生きていくために必要な思考によって真実が覆い隠されているから、 思考の隙間から真実を垣間見る程度の努力はしましょう、

ということになります。 (努力のやり方については人それぞれだし、当サイトでも散々書いている)

でないと、思考レベルでの「俺は元々悟っているんだ」という実感など不可能で、 「元々悟っている」なんて字面だけの頭の中の一形態、 もっと言えばタダの絵空事で終わってしまうし、実際殆どの人間がそうでしょう。

まぁこの辺の「元々悟っているなら修行なんて必要ないんじゃないの?」という疑問は、 道元上人が「本証妙修」と言ってた頃からあるはずなので、 私の回答に納得できない人は曹洞宗の坊さんにでも聞いてみてください。

生きている限りエゴは消えない

あと、勘違いしている人多いと思うんで言っておきますが、 いくら悟ろうがいくら気付こうが何をしようが、 生きている限りエゴ(頭で考える自分自身)は消えません。

なぜなら、 生命活動を維持している要素の1つが他ならぬエゴの原因になっている思考であり、 これは生きている限り絶対であります。

もし「私は悟りによりエゴを滅した」なんていうホラ吹きがいたら、

「まずうちさぁ、屋上あるんだけど、飛んでかない?」

と言ってやればよろしい。

本当にエゴが一切無いのなら何の躊躇もなくダイブしてくれるだろうから、 その様子を撮影してYouTubeにでも流せばお金が入ってくるでしょう。

「そんなぁ!エゴが消えないなら苦しみも消えないということじゃないか!」 なんて嘆く人がいるかもしれませんが、一体エゴや苦しみの何が悪いというのでしょうか。

どんな本を読んでも「エゴを消しましょう、エゴを殲滅せよ」なんて書いていないし、 書いてあるのは「エゴを深刻に受け止めないこと」「苦しみと向き合い客観視せよ」 みたいなことだけだし、事実、それらを実践すれば不要な苦しみからは解放されるではありませんか。

なので、どう足掻いてもあるものはあるので、 生涯を通じてエゴとうまく付き合っていけば良いのだし、

質問者様はニサルガダッタ・マハラジに言及されていたので彼の例を挙げると、

「あんた覚者のくせにタバコ吸ってるじゃないか」という非難に対して マハラジは「私の肉体はニコチンを必要とする。しかし、私は肉体ではない」 みたいな答えをしていましたが、

この台詞を、字面だけでなく実感として本当に理解することができれば、 まぁ一段落ついたといえるのではないでしょうか。

結局何が言いたいのかというと、 「酒やタバコは最早不要だが、私の肉体は下ネタを必要とする。しかし、私は肉体ではない」 ということであります。

以上、今回はここまで。

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