悟るための努力は必要か:読者からの質問コーナー

久々の読者からの質問コーナー。

中々良い質問だったので回答することにし、 質問者の方には少額ながらアマギフを進呈いたしました。

※「少額ながら」といっても最高額タイである。 もっとマトモなレポートが出てくるのを期待していたのだが、 これまで送られてきた殆どがおおよそレポートとは呼べない、 読んでも響かない、推敲すらされていない感想文ばかりでたまげてしまった。 あと「アマギフもらえなくてもいいです」みたいに謙遜されている人には、 本人の御意見を尊重して送っていない。 東大卒の私が判定するんだから文章レポートの判定基準は鬼の如く厳しい、 だから判定ユルユルな絵や漫画とかにした方が良いと言ったじゃないか(言ってない)。 まぁ約半数には配っているので、懲りずにジャンジャン送ってきてほしい。

それはともかく、質問は以下の通り。

質問:悟るための努力は必要か

東大六郎さんへ、いつもサイトを楽しませていただいてます。

悟り系の本やサイトを読んでて気付いたのですが、 覚者や悟った人ってだいたい皆んな同じことを言ってますよね。

思考を止めろ、願望を持つな、潜在意識(神、宇宙の源)にすべて委ねろ、 など引き寄せの達人も同じことを言っているのを見て、 やっぱり行き着く先は同じなんじゃないかと思ったりしてます。

私はニサルガダッタマハラジという覚者の「アイアムザット 私は在る」 という本をよく読んでいるのですが、 彼は「宇宙すべてがそれを起こそうとしない限り、何も起こりはしない」 と暗に引き寄せを否定してるようなことを言っていました。

顕在意識であれこれ考えていても結局はなるようにしかならんということだと思うのですが、 これは自分が思考停止したり、マインドを観察しようがしなかろうが出来事は起こるということですよね?

それじゃあ、 自分の努力(元祖1式の思考停止、ヴィッパサナー瞑想など)は意味がないものなのでしょうか。

自分が努力しようがしなかろうが、それは在るのだから、 だったら思考しようが行動しようが自由だと思うのですが、 東大六郎さんは意図的な努力、悟りに対する努力についてどう思われますか?

現状を変えるために行動するのは必要だと思いますが、 真理や悟りに関しては努力というものは必要なのかよく分からなくなっています。

東大六郎さんは悟っている(と私は思っている)のですが、 ぜひあなたの意見をお聞きしたいです。

あと、お暇があればですが、 ニサルガダッタマハラジの本もいつか読んでもらって、 東大六郎さんなりの解釈とか解説を聞いてみたいです。 長くなりましたが、気に食わなかったらこのメールは無視していただいて構いません。

これからもサイト運営頑張ってください、楽しみにしています。

私の回答:必要といえば必要

というわけで、「悟るために意図的な努力は必要か」という質問に対する私の回答ですが、

という、何ともいえないものになっております。

まず「必要といえば必要かもしれない」ということについては、

自分がいかに思考や感情に囚われているか、 思考や感情の中で意識を失っているか

については自分自身で気付く必要があり、 その「気付き」のためには、自分がたった今考えていること、感じていること、 振舞い等を観察する「努力」が必要になるかもしれません。

ただし、必要な努力といえばそこまでで、 あとの「元祖1式の思考停止」「ヴィッパサナー瞑想」といったような努力については、 やりたければやればいい、やらなくったってかまわない程度のものだと思います。

このような努力というものは丁度健康法のようなもので、

例えば、高貴な当サイトからはとても想像できないだろうけど、 私は下ネタが大好きで、 いつもいやらしいことを考えたり言ったりしているのですが、 「スケベな人間ほどボケない」というのは、 医療業界で何十年も前からある定説であります。

だからといって、 私はクソジジイになったときボケないために下ネタを考えたり話しているのではなく、 下ネタが好きで話しているのであります (そもそもボケたらボケたでかまわないと思っている)。

ナントカ式メソッドやナントカ瞑想もこれと全く同じで、 したければすればよい程度のもので、 嫌々やっても百害あって一利なしだと私は確信しております。

※食事でいうなら、納豆が嫌いな人間が無理して納豆を食べる必要はない。 納豆を食べなくても人は死なない。 好きな人間だけが食べれば良いのであって、強要するなど言語道断である、といった感じ。

以上、「悟るために努力は必要か」という質問について簡単に答えると、 「自分を観察する努力は必要かも、あとは好きにして頂戴」ということになり、

当該質問についてまだ書くことがあるし、 おそらく質問者様も納得していないと思うので次回に続く。

既に悟っているのに努力は必要かに続く。

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