浪人してセンター試験(共通テスト)でまぐれ当たり ニートから東大合格への道その4

前回の記事:全滅の大学受験 ニートから東大合格への道その3

両親の温情により、地元の予備校に通うことになりました。

やはりQ大合格への思いが捨て切れなかったのでしょうか、 最初の3ヶ月くらいは、自分でも驚くくらいマジメに勉強しました。

しかし夏に入ると、ダラけてきて「やらされ感」を感じるようになり、 予備校サボってゲーセンに通うようになっていました。

相変わらず数学や物理は面白くないし、 Q大への思いも、最早どっちでも良くなってきたのです。

自由になりたい!

私の願いは「こんな窮屈な環境から、早く解放されて自由になりたい」でした。

この心境の変化は、Q大目指していた当時の私だけでなく、 駄目になる受験生全員に当てはまるのではないでしょうか。

最初は「Q大目指して勉強するぞ!」「東大目指して勉強するぞ!」と 意気込んでいても、2、3ヶ月もすると、単調な繰り返しに嫌気がさし、

「もういやだ!合否はどうでもいいから自由になりたい!!」と思い始めるのです。

まぁこういう駄目な受験生が沢山いてくれないと、 Q大、ひいては東大などは、もの凄い競争倍率になるのですが、 当時の私は、入試本番までやり続ける受験生ではなくて、 途中で勝手に諦めていった駄目な方でした。

センター模試の点数はちっとも伸びず、 ず〜っと800点満点で500点台のままでした。 記述に至っては、現代文以外は目も当てられない状態でした。

そんなわけで、Q大への思いがしぼんでしまった私は、 ただただ「物理嫌だ、数学嫌だ、何で勉強してんだろ」と、 ストレスを感じながら、惰性でダラダラと勉強していました。

センター試験(共通テスト)でまぐれ当たり

予備校時代の私は、勉強が苦痛で仕方なかったのですが、 高校時代と違っていたのは、ダラダラながらも勉強していたことです。

冬になっても、相変わらずセンター模試の点数は500点台のままでしたが、 数ⅡBや物理全般は、 センター試験に出てくる基本的な問題なら解けるようになっていました。

そしてセンター試験本番、「もう浪人は嫌だ」 「どの大学でもいいから合格して自由になりたい」 という思いで問題を解き始めたのですが…

簡単なのです。数学も物理も。 「え?何だこりゃ?」といった感じでした。

当てずっぽうでマークした解答もことごとく当たるという幸運も重なり、 今まで見たこともなかった9割、800点満点で720点を取ってしまいました。

周囲もビックリしていましたが、一番ビックリしたのは私でした。

この年のセンター試験は、新課程に変わって間もない頃だったので 問題全体が簡単だったというのもあるのですが、良すぎました。

採点していて、あまりの高得点に腰が抜けてしまいました。 (5年後、東大目指して受けたセンターの点数が悪すぎて 再び腰を抜かすことになると、この時誰が想像したであろうか!)

というわけで、センター試験の点数だけで考えると、 Q大なんて楽勝だったのですが、Q大2次の勉強なんて、全くしていませんでした。 Q大の2次、しかも理系の問題など、3割解ければ良い方でした。

この時、「ダメ元でもQ大を受験していれば、たとえ落ちたとしても いいじゃないか、悔いは残らないだろう」という思いがあったのですが、 同時に「落ちて底辺駅弁に行くのは嫌」という思いもありました。

悩んだ結果、私の選択したのは②でした。 もうこれ以上、受験勉強などしたくなかったのです。 立命館と最初に行くことになる大学の2校に願書を出し、両方とも合格しました。

立命館も考えたのですが、昨年私を不合格にしたことが忘れられず、 「昨年の恨み」とばかりに蹴ってやりました。

こうして、私は予備校生活を1年で脱出し、大学生となったのですが、 相変わらず「数学嫌だ物理嫌だ」のままで、 「理系以外就職が無い」という洗脳が解けないまま、 最初の大学の工学部へと進学したのでした。

面白くない大学生活 ニートから東大合格への道その5に続く。

※追記:しかしまぐれ当たりの分際で 「底辺駅弁底辺駅弁」と失礼千万な奴だなこいつは。

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