とうとうニートになった ニートから東大合格への道その6

前回の記事:その5:面白くない大学生活

ドイツ語を落としても危機感が無く、 「まぁ冬学期に何とかなるさ」という気分でした。

長い夏休みを過ごしていましたが、 今思い返すと夏休みは何してたっけ?という感じです。 (京都だからもっと色々行っておけば良かった)

この記事を書いていて一つ思い出したのが、 自転車を買って白川通りを南下していき平安神宮まで行ったけど、 猛暑だったため吐いて倒れたことくらいです。

あとはクーラーをかけて、部屋に籠ってゲームばかりしていた記憶しかありません。

とうとうニートになった

そんなどうでもいい夏休みが終わり、冬学期が始まったのですが、 勉強の方は相変わらずやる気が出ませんでした。

その頃から「何でオレ、こんな大学に通っているんだろう」 という虚しさと怒り、不満の入り混じった気分が沸きあがってくるようになったのです。

こんな気分になってしまったら、元から面白くなかった授業を受けても全く面白くなく、 ドイツ語の授業は全部サボるようになりました。

ドイツ語はサボるようになっても数学などの他の授業は出るようにしていたのですが、 2年になったある日の朝、

もう、面倒だからやめよう」 と思い、全ての授業をサボりはじめたのです。

全ての授業を放棄しようと決心する前、 私にとってショックな事件や重大な事件があったわけでなく、 朝起きて、ただ何となく「もう止めよう」と思ったのです。 (何か事件があれば物語性が出てきて面白いのですが、現実はこんなもん)

そしてついに、ニートになりました。

もちろん、親には言いません。 しかし、当時は「ニート」という言葉は普及していませんでしたので、 「オレもとうとう登校拒否かぁ」などと思っていました。

素晴らしきニート生活

ただ、授業に出なくなっただけで、大学には行っていたのです。 家でゲームやTVだけじゃ、やっぱり飽きるので。

まだインターネットが今ほど家庭に普及していない時期だったので、 インターネットがしたい時は学校の図書館に行っていかがわしいサイトなどを見ていましたし、 映画が見たいときは視聴覚室を利用していました。

最初の頃は京都市内を色々回って満足していたのですがそのうち飽きてしまい、 ガイドブックやネットで調べ、電車に乗って大阪、神戸、奈良などに遊びにいっていました。

食事も、最初の頃は学食などでつつましく済ませていたのですが、 京都市内のラーメン屋をハシゴしたり、 そこそこの金額の料理屋に1人で行って美味しい料理を食べたり、 伊勢丹や高島屋の地下で色々買って帰り、腹いっぱい食べてました。 (まだ酒もタバコもクスリもやっていなかったので食べることだけが楽しみだった)

このような優雅な生活をしていたにもかかわらず、 いつも不安と焦燥感を心の奥底に抱え「全部親が悪い、全部社会が悪い、生まれてこなければ良かった」 などと、全てを他人の所為にして悲劇の主人公を気取っていたのです (おそらく専業主婦や生活保護もこんな感じなのでしょう。知らんけど)。

バイトで人生変えようとする

ただ、私自身もこれでよしとしていたわけではなく、 「こんな生活を続けていては駄目だ!」と考え、 人生変えようと一念発起してスーパーの荷降ろしのバイトを始めたのです。

しかし、開店前の荷降ろしのバイトはとてもきついのです。 まず朝5時前に起きて支度をし、自転車で店まで行きます。

そして6時から10時の開店まで、冷蔵庫や冷凍庫から 商品を引っ張り出してきて、陳列棚に並べるのです。

私の担当は、牛乳や豆腐など、水分の多い重いものばかりでした。 牛乳を床にぶちまけたり、冷凍庫に閉じ込められたりと、 色々ありましたが、「自分に肉体労働は合わない」という結論に至り、 3ヶ月で辞めてしまいました。

人生を変えようと始めたバイトも、短期間で辞めてしまった私は 「マトモな大学にも行けず、バイトも長続きせず、オレは人間の屑だ」 と、自己嫌悪と劣等感の塊となってしまいました。

祖母の葬式

そんな折、実家から「父方の祖母が亡くなったので帰ってこい」 という電話がありました。

普通なら、ここで泣けるエピソードの一つでも入るのでしょうが、 幸か不幸か私の家系は親戚付き合いが希薄だったので、 祖母ともあまり面識が無く、悲しみは沸いてきませんでした。

ただ、私と同い年の親戚が憎きQ大の法学部に行っているのを知っていたので、 親戚の集まりなどあまり行きたくありませんでした。

かたや田舎のエリートQ大生で、かたや中途半端な大学生、 しかも実はニートで、劣等感と無力感に押し潰されそうになっているニートなのです。

こんなもん、誰だって行きたくないでしょう?

幸い、Q大生本人は来ていませんでしたが、 葬式や親戚の集まりの間、目立たないようにずっと下を向いて、 借りてきた猫のようになり、時が過ぎるのを待っていました。

親戚のQ大の話題や自分の大学の話題になると、 劣等感、後ろめたさ、嫉妬等の負の感情に押しつぶされそうになり、 生きた心地がしませんでした。

大学行ってないことを親に言おうかとも思ったのですが、 そんなこと言ったら何されるか分からんので、最後まで言えませんでした。 こうして、針のムシロのような時を過ごした後、 私は逃げるように実家を後にしたのです。

その7:ニート、クスリと酒に溺れるに続く。

追記

今なら上記のような劣等感も消えているので、 親戚の集まりがあってもどうということないのですが、 この祖母の葬式以降、親戚の集まりが一度もありません。 祖父はまだ生きていますし。

もう学歴とか職歴とか、そういうのはウンザリなんですけど、 親戚が集まると必然的にそういう話になってしまいますね。

2ちゃんのお盆や正月スレを見ると、どの家庭もそうなのだと 改めて実感させられますが、何で親戚同士で見栄、虚栄心の張り合いをするのですかね? やっていて、虚しくなってこないのでしょうか?

2015年追記

この前祖父も死んだので、葬式で実家に帰りました。 今回はQ大卒の親戚も来ておりましたが、最早何の感情も湧いてきませんでした。

もはや親戚の誰もが私の敵ではなく、 「何でオレはこんなものに悩まされていたんだろう」 という気分でいっぱいになりました。

人生で悩んでいることの殆どが「取るに足らない、下らないこと」 ということがよく分かる体験でした。

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