ここでは、ニート状態から東大合格までの年表を載せておきます。
注意事項としては、当時のセンター試験(共通テストのこと)は800点満点で、
英国数がそれぞれ200点、世界史地理がどちらか一方で100点、理科が100点となっております。
まあ、あまり参考になるものにはなっておりません。
2001年
- 12月 代ゼミの東大プレを受ける。
結果は国語が現代文のおかげで2割、
英語、世界史地理は1割未満、数学は5点。
判定はEだかF(Fなんてあったっけ?)
2002年
- 01月 未プレイだったFF9をやる。ムービーばかりで面白くなかった。
- 02月 飲酒が深刻になる。1日ウィスキー1瓶。
- 03月 酒を止める。問題集を買い揃え、東京大学合格目指して勉強開始。
- 04月 英単語、英文法、地理、数学の勉強。
- 05月 4月のメニューを続けながら、英文和訳、世界史、古文漢文の勉強。
- 06月 黄チャート以外の問題集1.5巡目くらい終了。当然ながら全然頭に入っていない。
センター模試は550/800点くらい。
- 07月 暑さでダレてくる。飲酒再開。1週間に1回くらい飲む。
黄チャート一通り終了。
- 08月 現代文の勉強開始。古文漢文、世界史、地理の応用問題を買って始める。
英文長文読解、英作文とかも始める。
- 09月 涼しくなってきたので、ペースを上げる。
Z会の東大コースを始める。全く訳が分らない。
- 10月 基本的な問題集なら、1日で終えられるようになる。
古文がスラスラよめるようになったりする。
センター模試は600/800点前半。
- 11月 この辺になると、ひたすら復習の日々。
Z会の問題も少しは分るようになる。
センター化学の勉強開始。有機化学は捨てる。
- 12月 インフルエンザの予防注射を受ける。
世界史の教科書を読んでいる最中に突然頭の中に爆発が起き、
世界史の横のつながり、歴史の因果関係が手に取るように分るようになる。
その関係で、地理も包括的な見方ができるようになる。
Z会国語でA判定。Z会数学も1問は完答できるようになる。
センター模試は770/800点。
2003年
- 01月 センター試験本番
英語200点、数学140点、国語まさか痛恨の120点、化学75点、
地理80点 合計615/800点。
一番得意だと思っていた国語の小説問題が0点だった...
前期は東京大学文科Ⅲ類、後期は神戸大学経営学部
の夜間(センターのみ)にした。
私立は金と時間の無駄なので一切出願せず。
- 02月 センター終了から2月10日くらいまで、ショックで放心状態となる。
「首を吊るのは試験後にしよう」と決意する。
今までやってきた問題集やZ会のプリントの処分を始める。
一回復習する毎に、ゴミ箱に捨てて行った。
さっぱりした机の上を見て、清々しい気持ちになる。
- 東大受験本番 1日目 会場は駒場13号館1Fの一番広い教室。
(1313だったか、後に小森教授の授業を受けるところ)
席は左端の前から2番目、試験監督の席の横だった。
- 国語
古文漢文はまあ簡単。現代文は長かったが何とか解けた。
試験中、試験官が俺の答案をジロジロ覗いてくる。○してやりたくなる。
- 数学
微積を速攻で解く。
残りの3問を解こうとするが、まったく解けない。
焦る焦る...頭が真っ白になる。
試験官は相変わらずジロジロ覗いてくる。
試験終了後、「人生終わった」と思い、
試験が終わったらどこで首を吊ろうか考える。
- 2日目 世界史・地理
世界史の作文をヤケクソで終わらせ、地理のカナダの問題を
問題文を読まないまま「カナダ?ケベック?どうせフランス語云々だろ」
と殆どヤケクソで解答用紙に書きなぐる。
試験官は相変わらず答案を覗いてくる。
- 英語
「雨降って地固まる」を英語で説明する。
ハワイの波の文章の要約、イラクで活動した記者の長文など...
あまりに問題量が多すぎて、タイムオーバーになる。
数学でヘマしていたし、完全に終わったと感じる。
帰りに渋谷のドンキでウィスキーを1瓶買い、その日のうちに全部飲む。
(買ったのはオールドクロウという、カラスの絵のバーボン)
- 3月10日 受験終了から酒浸りの生活を送る。
昼間から飲んでいた時、東大から薄っぺらい封筒が届く、
中を開けると汚い印刷で「合格したので手続きして」と書いてある。
気を失いそうになりながら、酒を流しに捨てた。
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