「何かやってみるために、第一歩を踏み出す」 これが勉強することにおいて、一番大事なことです。
私が初めの一歩を踏み出さなければ、ニートから東大に合格することも、 家畜の価値観を捨てることもなかったでしょう。
でも、「やる気が出なくて」とかいって、 最初の一歩を踏み出すことをためらう人は多いです。
私も一歩を踏み出せば、確実に何かを得られることがわかっていても、 踏み出せないことが昔から何度もありました。
思い切って一歩を踏み出せない自分に対して「何て俺はダメなんだ」と悩み、 高校生の頃から「やる気が出る本」みたいなのを熱心に読んでいたのですが、 やる気など全く出ず、出るのは性欲ばかりで、エ口漫画読んだりゲームしたりしていました。
ではなぜ東大目指したり、自分の価値観を変えるための一歩を踏み出すことができたのか? 「さぞかしやる気を出す素晴らしい方法があるのだろう」と思われるかもしれませんが、 私の場合はどちらとも「なんか気づいたらやり始めていた」からです。
何か一歩を踏み出す時期が来たということなのか? 当時としては、そうとしか説明できませんでした。
今考えてみると、私が初めの一歩を踏み出せなかった理由は、
①達成できるかどうか分らん遠くの目標より、目先の快楽を選んでしまったから
②失敗して、自分の理想と違った結果になるのが嫌だったから
ということでした。
東大目指した時も社畜の価値観変えようと思った時も、 私の状態はニートおよびブラック企業の社員と、 共に人生のどん底、生きるか死ぬかのピンチな状態にありました。
「生きるか死ぬかの状態」にあると、①、②の理由なんてどうでもよくなり、 劣等感、自己嫌悪、嫉妬、絶望、怒りといった感情が爆発して、 その爆発が私の背中を押してくれました。
そして「気づいたらなんかやり始めていた」ということになったのです。
これらのケースから何が言いたいのかというと、
1つ目は、「やる気が出ない〜」と嘆いている人たちは、 何だかんだ言っても、まだまだ恵まれた状況にあるということです。
「やる気が出ない〜、でもそれは置いといてエ口サイトを見よう」とか、 「やる気が出ない〜、でもそれは置いといてお菓子食べて寝よう」とか、 まだまだ金銭的、精神的、肉体的に余裕な状況にあるわけです。
結構なことじゃないですか、そんな余裕があるなんて。 余裕で恵まれた状況にあるうちは、その状況を楽しめばよいと思います。
そして、生きるか死ぬかのピンチに見舞われたら、 嫌でも一歩を踏み出さなきゃいけなくなります。 そういうピンチは、誰にでも1度は訪れるものだと思います。
それまでは、私の様にダラダラと日々を過ごせばよいのではないでしょうか。
2015年追記:サイト公開時に書いた記事だから4年前の記事になるのであるが、 4年前に書いたにしては中々良いこと書いてるじゃないか。 まぁ、良いことというよりこれが真理だけど。 こういう真理を「やる気コンサルタント」の類が言わないのは、 クライアントが自律してしまい自分の商売あがったりになるからだろう。
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