お金は概念に過ぎない

※2015年の追記

どうやら、これが当コーナーで最初に書いた記事のようです。

今読み返すと、こんなどっかからパクッてきたようなお粗末な内容で、 よくも長々と書けたものだと思ってしまいましたが、

こんな内容でもお金に関する観念を変えるキッカケとなり、 こんな内容でも書いていれば、数年後にはそこそこ金持ちになってしまうのかもしれないな、 とも思いました。

ヤップ島の石貨

小学校1年の時、学校の図書館で ヤップ島のお金の写真を見ました。 (「ヤップ島 お金」でイメージ検索)

大きな石貨の写真を初めて見た時、子供ながらに 「こんなでっかい石のお金、重いだけじゃないか。 なんでこんなものに価値があるのだろう。」 と思った覚えがあります。

現地でも日常生活には使用できないようですが、 持ち運びもできないような大きい石のお金なんて、私は欲しくありませんし、 石のお金をもらっても、嬉しくありません。

戦国時代の茶道具

ゲーム『信長の野望』をやると、部下にお金や土地の代わりに茶道具を 褒美として与えることができます。 事実、戦国時代には茶器は価値あるものとして考えられ、 各武将が目を血走らせて、茶碗、茶入れ、釜、茶筅などの茶道具を求めていたようです。

現代でも、京都国立博物館等に行くと、茶道具に「国宝」のラベルが付いて展示されていて、 茶筅や茶杓(あの耳かきみたいなの)にも「国宝」だの 「重要文化財」だのラベルが貼られ、ありがたがられています。

九十九髪茄子
古ぼけた茶入

私は抹茶アイスは好きですが、茶道具に価値なんて見出せないし茶道具なんて貰っても、 嬉しくありません。

現代日本でも

石のお金と茶道具の例を出しましたが、 現代の日本でも、このような例は多く存在します。

例えば、ポケモンカードを集めている小学生の間ではポケモンカードは価値のあるものですし (今だと妖怪ウォッチのメダルか)、 切手コレクターの間では、レア切手はその額面以上に価値のあるものです。

私的には、ポケモンのレアカードなんて欲しくないですし、 「月に雁」「見返り美人」等の切手は、800円、500円の価値しかないと思っています。

そんな私ですが、京都でニート暮らしをしている時、 ブートレグのレコードを集めていた時がありました。

レコードプレイヤーを持っていないにもかかわらず、 エルビス・プレスリーやビートルズのピクチャーレーベルを集めていたのです。 今考えると、「何やってんだ」と思うのですが、あの頃の私にとっては、 ブートレグレコードが価値あるものだったのです。

そして、 ポケモンカードや切手、レコードとは比べ物にならない程の大勢、 というより、日本人全員が「価値がある」と思っているものが 「お金」です。

お金は概念に過ぎない

私を含め、日本人全員、いや貨幣経済のある国全ての人がありがたがっているお金ですが、 何であんな金属片や、紙切れなんかに価値を感じているのでしょうか。

私が説明するまでもないのですが、やはり「交換価値がある」と 権力者によって認められているからでしょう。

この辺の「物々交換⇒貨幣の誕生」などの歴史は、 他のサイトに任せるとして、自分の好きなものと交換できるから お金には価値があるのです。

※もし、日本やアメリカの権力者が 「現在の貨幣を廃止して、日本の通貨はポケモンカードにしよう」 と決定したら、現在の貨幣はただの金属クズ、紙切れとなってしまい、 ポケモンのレアカード(ミュウツーとか?)で、レクサスが買えたり家が建ってしまいます。 ポケモンカードをめぐって、強盗事件や殺人事件が起きたりするでしょう。 それくらい、「お金」というものは、不安定なものなのです。

要するに、100玉や1万円札“自体”、あの金属片や紙切れ自体に 価値があるのではなく「色んなものと交換できるから」価値があるのです。

ということは、 お金は物質的なものではなく、概念的なものである ということが言えないでしょうか。

時代やコミュニティ、個人によって大きく異なっている価値観を 権力者や人々が無理矢理一つにまとめ、客観的にしようとしたのが、 「お金」という概念だと、私は思うのです。

上の写真にある古ぼけた茶入も、実は「九十九髪茄子」という名の茶入で、 足利家⇒松永久秀⇒織田信長⇒豊臣⇒徳川と渡り歩き、 最後は三菱財閥の手に渡った代物なのです。 値段を付けたら何十億円くらいになるのでしょうか。

こういう話を聞くと、大抵の人は「ヒエ〜!」となって、 あの汚い茶入が、何だか神々しいものに見えてしまうのです。

しかし、汚い茶入はただの汚い茶入です。 権力者や人々が勝手に祀り上げ、 「価値のあるもの」と思い込んでいるだけなのです。 (私的には、ノートPC1台の方がよっぽど価値のあるものだと思います。)

これと同じく、現代人の多くは、お金を物質的なもの、 しかも絶対的なものだと「物質化」「偶像化」し、お金”自体”、 あの100円玉や1万円札”自体”を求めて赤くなったり青くなったり、 右往左往しているようにみえます。

お金自体に価値は無いのだし、ましてや絶対的なものでもない、 お金は権力者と人々の意識が生み出した、極めて概念的なものだ、 ということが実感できれば、 後にお話しする、お金に対する罪悪感や恐怖も 薄まると思うのですが、いかがでしょうか。

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