先日、勉強のカテゴリで「他人と比較しない」という記事を書きました。 酔っぱらった時に書いたのか、酷い文章です。
前回の記事を書いた時の私は、
「東大受験の時は他人と比較しなかったため東大に合格した、 サラリーマンの時は他人と比較しまくったので、泥沼にはまった」 「なので、他人と自分を比較して気分が悪くなるようなマネはやめましょう」
ということが言いたかったのですが、
今回の記事では、前回に続いて、他人と自分を比べることの弊害、 そして、その対策を書いていきます。
アメリカで実施された「必ず劣等感を植え付けさせる」実験。
絶対に10分で解けない問題を被験者に配り、
「この問題は、解答時間は一応50分とってありますが、 『平均的な人』だと10分で解ける問題です。 10分経ったらベルを鳴らします。さあどうぞ」
とアナウンスすると、10分のベルが鳴る前後から 出来の良い被験者ほどイライラし始めるそうです。
そして、 「自分は平均より下になった」という劣等感、悔しさで一杯になり、 精神がかき乱され、解けるはずだった問題も解けなくなるのです。
なかなか楽しい話ですが、これは、現代日本でも当てはまります。
「30代サラリーマンの平均年収は〜」 「今年の共通テスト平均点は〜」 「女性が結婚する平均年齢は〜」
こういった“平均”情報に日々晒され、誰もが劣等感を感じ、 「どうせ自分なんか…」となります。
そして、劣等感「どうせ自分なんか」という思いで、 自分の中に内在する可能性、能力を自ら潰してしまうのです。
自分の中の可能性や能力を潰した結果、 生きているのか死んでいるのか分からない、惰性の人生を送ることになります。
酷いケースになると「俺は人並みに生きていけないんだ!」 と人生に絶望し、樹海へGO、電車へダイブしてしまいます。
“平均的な人間”なんて実在するはずないのに、 そんなモノと比べて一喜一憂する…
何ともバカバカしい話ではないですか。
※サラリーマンなら分かるやろうけど、 所謂「モデルケース」というのも同じやで。
平均と自分を比べることはバカバカしいことですが、 他人と自分を比べることも、同じくバカバカしいことです。 他人は貴方のクローンではないのですから、他人と貴方が違うのは 当たり前のことなのです。
それをわざわざ他人と自分とを比べて、 勝っていると「焦燥感を伴う優越感」を感じ、 劣っていると「嫉妬心を伴う劣等感」を感じます。
酷いのになると、会社の社長、役員になっても 他人と比べて一喜一憂しているのがいます。 (そういう会社ほど、ロクな会社ではありません) よくそれで社長になれたな、と呆れるのですが、 そういう人間が安らかな人生を送ることは、この先一切無いでしょう。
自分より優れている人間なんて、周りにいくらでもいるのです。 それなのに、いちいち他人と比べていたら、たとえ自分が成長しても さらなる劣等感が生まれて、キリが無くなります。 他人と比べることで、人生が「無間地獄」になってしまうのです。 (地獄なんてものは、その人の内面にしか存在しないのですが)
では、どうすれば他人と比較せずに 平穏な日々を送れることになるのでしょうか。
それは、自分の良し悪しの基準を 「平均」「他人」といった外部の基準ではなく、 「自分の気分が良いか、悪いか」 「自分は幸せか、不幸せか」 といった、自分の内面の感情で決定することです。
平均は平均、他人は他人で放っておけばいいんです。 会社で上司から「なんであいつにできてお前にできないんだ」と言われても、 学校で教師から「なんであいつにできてお前にできないんだ」と言われても、 「私は私にできることをしますから」と、 放っておけばいいんです。
そして、自分の内面の感情、自分の内面の声に従い 自分のペースで人生を歩んでいけば良いのです。
自分の内面に従い、自分の軸を持っていれば、 劣等感、嫉妬、焦燥感のようなものは消え失せ、 毎日の生活が素晴らしいものになっていくのです。
追記:これだけじゃ説明不足なので書くけど、要は「開き直れ」ということです。 それでもギャアギャア言ってくる輩には「痛い目」に遭ってもらうくらいの気概で生きればよろしい。
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