苦しみの終わり ニューアース2017追記

前回の記事

久々のニューアースに関する記事。

今回は、「苦しみの終わり」なんていう御大層なサブタイが付いておりますが、 内容としてはニューアースやその他の書物をきちんと読んでいれば、 当たり前?のことしか書いてありません。

なので、「苦しみを終わらせる方法だって!?それはどんなだ!?」と食いついてきた人については、 具体的な方法など無いし、失望するのがオチなので読まない方が良いです。

気付けば苦しみは終わる

最初に結果から申し上げると、

ということであり、気付けば苦しみは苦しみでなくなり、 「あれ?何で俺はあんなことで苦しんでいたんだろう?悩んでいたんだろう?」 「これで苦しむ必要なんてあったの?」 となるわけであります。

これこそがニューアースに書かれている「苦しみが(エゴによる)形との同一化を崩す」 「苦しみという浄化の炎」という文言に当てはまると私は思うわけです。 (以前にも書いたかも)

じゃあその「気付き」って何?という話ですが、それは人それぞれであり、 今までとは異なる感覚になるとか、今まで思いつかなかった新しい思考が浮かんでくるとか、 果ては開き直りの境地に至るとか色々でございます。

たとえば、最近解説文を書いている『快癒力』の著者は、 子供が障害を持っていて喋ることができず、 そのショックで奥さんまで喋ることができなくなってしまい随分悩まれたそうですが、 ある時「ああ、別に息子も嫁も今の状態で苦しんでいない。治してくれとも思っていない」 と気付くことができ、苦しみから解放されたとのこと。

また、『死ぬな 生きていれば何とかなる』の著者にしても、 35歳から膀胱ガンを始め4種のガンになり、 40歳でとうとう白血病なり全財産も失ってしまわれたのですが、 「ただ生きていればよい」ということに気付かれ、楽になられたのではないでしょうか。

これはエックハルトトールも同様だし、私についても同様です。 (あとはお釈迦様なんかも)

よって、苦しみがあるということは、自分が信じている(自分と一体化している)何かしらの価値観、 思考パターン、偏見、狭い視野、決めつけ、思い込み…

要するに「エゴ的な何か」があるということなので、それに気付けば苦しみは無くなる、 同じことで繰り返し苦しんでいるならば「エゴ的な何か」が居座り続けている、 ということであります。

これは上記のような大袈裟な例だけではなく、日常生活においても同様なので、 何か苦しみや悩み事あるなら、それはどんな価値観からきたのか、一体自分はどんな思考パターンをしているんだ、 自分が「当たり前」だと信じて止まないものは何だと観察したりすればよろしいです。

やっぱり自分なりの気付きを

というわけで、苦しみの終わりについて手短に書いてみました。

これが私が説明しうる全てなのですが、コトを面倒にしているのは、 人間はひとりひとり異なる苦しみを抱えているので、 万人に当てはまる「気付きのタイミング」「気付きの方法やキッカケ」 「気付きの内容」といったものが存在しないことであります。

なので、「苦しいから助けてください」とか 「この場合の解決方法はどうすればよいのでしょうか」いうメールを書いてくる人間がいても、 そういう人間に対しては最早「あなたは私ではないので自分で何とかして頂戴」としかアドバイスできないのです。

これは別に私が意地悪をしているわけでなく(本当かよ)、 メール越しにアドバイスしたらしたで無責任極まりないことだし、

最終的に自分の人生を変える力になるのは「自分なりの気付き」以外になく、 それは苦しみの中から自分なりに見出すものだからであると確信しているからであります。 (気付けば別に苦しみでもなかったとなるのは、上にある通り)

よって苦しい場合は、上記の通り、何で自分は苦しいのか、この原因は何なのか、 自分なりに探ってみて、見出した方がよろしい。

他人が書いた本(もちろんニューアースも)や他人の解釈、意見を拠り所にして解決を図ろうとしても、 一時的には分かったつもりになり爽快な気分になるかもしれませんが、 良くてヒント止まりで、結局何も変わらず同じ苦しみの繰り返しとなります。

ヒントの有る無しでいえばあった方が良いに決まってますが、 ヒントにベッタリ依存してヒントコレクターになっても仕方ないし何も変わらない、 変えるのは自分、未来の理想の自分などではなく、「今の自分」であることに気付いてください。

次回に続く>>

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