前回の記事:6章 人生の目的
今回は7章。
前回書いたとおり、
6章で締めの言葉があったにもかかわらずまだ続きます。
今回のテーマは「今になる(直訳)」で、「アイデンティティ(自己同一化)の移行」みたいなことについて。
思考、感情、身体、肩書、所有物、人間関係といった「形あるもの」から、
今、意識、生命、源、Presence、Stillness、Unmanifestedといった「形ないもの」へと
アイデンティティが移行したらどうなるかが書かれており、
この「アイデンティティの移行」こそが、ニューアースだけにとどまらず、
所謂「悟り系」のメインテーマの一つとなっております。
(あくまで個人的な感想だけど)
7章 BECOMING PRESENT 前半
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We can learn not to keep situations or events alive in our minds,
but to return our attention continuously to the pristine,
timeless present moment rather than be caught up in mental movie-making.
Our very Presence then becomes our identity, rather than our thoughts and emotions.
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「たった今」だけが私をエゴから開放するし、そもそも私は昨日や明日ではなく、今にしかいられない。
「たった今」だけが過去を消去し、私の意識状態を変容させる。
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もし私に(目覚めの)意識があるならば、頭の中の声を認識することができるはずだ。
その声は、過去によって条件付けられた、古い思考の声である。
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もし私に(目覚めの)意識があるならば、その声、全ての思考を、もはや真実だとは信じないはずだ。
それらは全て単なる古い思考に過ぎない。
目覚めの意識とは「今」であり、今だけが過去による無意識を崩すことができる。
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何千年もの間人類を苦しめてきた悲劇を終わらせるには、
いかなる瞬間も自分自身の内面に責任を持たなければならない!たった今から!
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「今この瞬間、私の内にネガティブ性が存在するか?」と自身に問い、思考や感情を注意深く観察する。
怒りや恐れといった目立つものだけでなく、
低レベルの「ウンザリ」、不満、イライラ、退屈等は特に注意して観察する。
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この不幸せを正当化したり論理的に説明しようとしたりして、
実際には現実世界で不幸せを引き起こしている、それらの思考を注意深く観察する。
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もし何らかのネガティブ性を自身の内に発見したとき、それは失敗ではなく成功である。
気付きによってそのネガティブ性との同一化が外れた、思考、エゴの檻から抜け出したといえるから。
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気付きによる思考、感情、リアクションからの脱同一化を、
「思考、感情、リアクションの否定」と混同してはいけない。
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それらが「あっ、ある」と認識されたとき、脱同一化は自動的に起きる。
つまり、私が自動的に「思考、感情、リアクション」から、
それらただの状態を目撃する「気付き」、「今」へとシフトするのである。
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感情、そして思考さえも、気付きを通して個人的なものでなく客観的なものとなる。
感情や思考の非人間的な性質が認識されると、それらはもはや感情や思考自身ではなくなり、
ただの人間としての感情、思考になる。
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私の個人的な人生は究極的にはただの物語であり、
思考と感情の束である個人的な人生は重要性が二の次となり、
最早私の意識を占拠することはなくなる。
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最早思考や感情は私のアイデンティティではなくなる。
私は、思考や感情などよりも深い「今」という光になる。
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ネガティブ性はどれも知性ではない、全てただのエゴである。
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ネガティブな状態にあるときは常に、私の中にネガティブを望んでいる部分、
ネガティブに喜びを感じている部分、ネガティブになっていれば欲しいものが得られる、
ネガティブが役に立つと信じている部分がある。
そうでなければ、自分も周囲も、心も身体もミジメにするネガティブなんてわざわざ抱かない。
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違うというなら、ネガティブな状態のときにはいつも
「ネガティブで欲しいものが得られる、ネガティブが役に立つ」などと信じている部分がないか観察せよ。
そのとき、私のアイデンティティはエゴから気付きへとシフトする。
気付きの意識の拡大とともにエゴが縮んでいく。
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ネガティブの真っ只中にあるときは
「今この瞬間、私は自分で苦しみを生み出している」と気付くだけで充分。
それによって条件付けで制限されたエゴ状態とエゴ的リアクションを超越できる。
人生の状況に対処するためのもっと知的な方法に気付き、無限の可能性が開ける。
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古い関係(他人との人間関係だけに限らない)であればあるほど、今に在る必要がある。
でないと過去を何度も何度も繰り返す羽目になるから。
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「真の関係」とは、イメージや欲求を生み出すエゴに支配されたものではなく、
相手に何も望まず、相手に「今」という意識を注いだものである。
7章 BECOMING PRESENT 後半
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もし存在(Being)を疎かにしているなら、私の行為は決して満たされない。
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人類の殆どは、外面ばかりを見て、内面の本質に気付いていない。
気付いていないから、身体的、心理的な形を自分だとみなしている。
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しかしながら、ある程度「今」「存在」「Stillness」「気付き」などが知覚の中で分かってくると、
聖なる人生の本質が感じられるようになってくるし、全ての形あるものに内在している意識を、
私に内在している本質と同様に愛するようになる。
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仕事だろうがプライベートだろうが、人に合う時はその人に全ての注意を向けよ。
私はもはや1人の人間としてではなく、気付きというフィールド、「今」という存在になり、
それが一義的なものになる。相手が家族だろうが近所の人だろうがレジ係だろうが、
他人の外見や役割、話す内容というものが二の次になる。
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The human Beingが、この世界の最も重要なものになるが、
それは実生活を疎かにしても良いということではない。
それどころか「存在」「気付き」を第一にすると、物事が簡単にいくだけでなく、
さらに力強く展開するようになる。新しい地では存在Beingが一義的なものとなる。
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不平不満には、私の誤ったアイデンティティ(同一化)を強化させること、
エゴを持続させること以外に何の目的も無いことが分かったとき、自然に許しが出てくる。
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これがイエスの言っていた「汝の敵を愛せよ」であり、エゴの解体の本質である。
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この世界での加害者は唯一つ、人類の無意識である。
これに気付くことが真の許しであり、私の「被害者」としてのアイデンティティが崩れ去っていく。
そして「今」「存在」という真の力が私に発現し、闇に光をもたらす。
※まるでラノベみたいだあ(直喩)
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「たった今(Presence)」とは、内なる解放の状態のことである。
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今に在るとき「私はこの瞬間の状況に、どのように対処しようか?」と自問するかもしれないが、
回答は不要である。
何がどうであれ「そうであるもの」に対して開き、ただ見、ただ聞き、今と共に在ればよい。
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「そうであるもの」「今」と共に在ることで新たな次元が開き、
状況に対して感情的に反応するのと違い、状況は自ずと解決していく。
実のところ、見たり聞いたりしているのは、個人的な私ではなく、
Stillness、Consciousness、「源」そのものである。
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なので、行動が必要なときは、私の身体を通して自発的に動作が湧き上がってくる。
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私が本当に今に在る、全ての意識が今に向いているとき、
「今」の意識が私を流れ、私の在り方と私の行為を変容させる。
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私の行為は外面的な目標(金、名声、勝利)の為の手段ではなく、
行為それ自体を満たすもの、「今」という存在から流れ出る自由、
解放、喜びで行為を満たすものとなる。
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もちろん、今と調和していることで初めて今に在ることが可能であり、
これはネガティブ性に汚染されていない、効果的な行為の基本となる。
以上、今回はここまで。次回は8章。
8章 意識に続く。
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