解説『釈尊のさとり』その2

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今回から『釈尊のさとり』について、まとめというか感想文というか、 私の思うところを書いてまいります。

釈尊のさとり (講談社学術文庫)

釈尊のさとり

ただし、前回書いた通り本書は90ページしかないので、 こんな記事なんて読まずに本書を繰り返し読めばOKなのですが、

万が一いるかどうか分からないけど、 「何だこれこれ意味不明だよ」という人のために、 簡単に書いてまいります。

悟りとは直感的、受動的である

まず著者が仰っているのは、

ということ。

当サイトの読者の方ならもう分かりきったことでしょうが、 「悟りとは理屈をウンウンこね回した結果出てくるものではない」し、 そもそもの話、「出てこい出てこいといって出てくるものでもない」ということ。

本書では万有引力を発見した際の、 所謂「ニュートンの閃き」みたいなもんだとありますが、 実際閃きみたいなものだし、

P.20の「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり」 という道元の言葉通りでしょう。

道元の基本理論が「本証妙修」であり、 「悟るために修行するは外道の考え」だからね。 しかたないね。

※「本証妙修」が何なのかは自分で調べてちょ。

ちなみに、悟りという直感自体を表現しようとすると、 言葉ではまず無理だし、絵でもほぼ不可能だと私は思います。 VRとかが発達すれば可能になるかも。

あと絵といえば、私的には『ブッダ』の悟りの描写よりも 『火の鳥鳳凰編』の我王の悟り描写の方が好き。

ゴータマ・シッダールタ

そんな悟りですが、 菩提樹の下で悟ったお釈迦様はそのまま7日間座り続け、 自分が受けた「直感」を「理論」に変換していたとのことで、 この話が本当かどうかは私には分かりません。

というかここまでが30ページで、 もう本書の3分の1が終わってしまったではないですか。 (ここまでは前置き部分だけど)

そんなわけで、本書の内容は次回にして、 ここではお釈迦様ことゴータマ・シッダールタについての雑談。 断じてページ稼ぎなどではありません。

知らない人のためにゴータマ・シッダールタの略歴を簡単に書くと、 紀元前460年頃ネパールのルンビニーで生まれ、 贅沢三昧な日々を過ごしていたけど29歳のとき出家し、 35歳でブッダガヤにて悟りを開きサールナートで初転法輪をおこない、 80歳でクシナガラにて豚肉かキノコに当たって入滅となります (本当に簡単じゃないか…たまげたなぁ)。

私が初めてゴータマ・シッダールタという人物を知ったのは 『ブッダ』を読んだ小学生のときで、1巻から読んだら 「このチャプラって誰?題名が『ブッダ』なのにちっとも出てこないじゃないか。 『アドルフに告ぐ』は3人もアドルフが出てきたのに」 などと思ったものです。

次に『リトルブッダ』を観たおかげで、 私のシッダールタのイメージは手塚治虫の漫画かキアヌリーブスになりました。 (私はこの映画大好きで、字幕無し英語オンリーで鑑賞できる数少ない映画の一つである。 ただし、ストーリーに起伏がないため私は好きだがあまりお勧めはしない)

ともかく、そんなシッダールタですが、王家に生まれ、 地位も財産もあり、若い嫁が3人くらいいて、家来もたくさんいたのに、 当のご本人は「なぜ人は老い、病にかかり、そして死ぬのか」なんて悩み、 全部捨てて出家したというのは言い伝えの通り。

私が同じ境遇なら、Twitterやyoutubeや「なんでも実況Jリーグ」なんかで自慢しまくり、 所謂「子供部屋おじさん」で一生を終えたであろうから、 このエピソードを聞くだけでも やっぱお釈迦様は凡人とは違うなぁと思ってしまいます(意味不明)。

※でも、金や肩書や女などでは満たされないし幸せになれないというのはホンマやで。 それに気付くのが早いか遅いかの話だけで。

以上、本当に下らない雑談になったけど今回はここまで。

次回から本格的に内容に踏み込んでいきます。

次回に続く>>

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