解説『釈尊のさとり』その7

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本書の解説も今回でおしまい。

釈尊のさとり (講談社学術文庫)

釈尊のさとり

今回は総まとめと私見となっております。

最後にもちょっと書きますが、本書を読むことで日本で一番ポピュラーな 「般若心経」の意味が分かるようになるので、 それだけの目的で本書を読むのもアリかもしれません。

まぁ、本書にせよ般若心経にせよ、 頭で理解したり暗記したからといって、 それだけでは救いはないのだけど…

まとめ

まずはこれまでのまとめ。

メモ書き程度だと以上のようになり、 どの範囲をもって「基本」と呼ぶかは諸説ありますが、 本書を読めば基本的な仏教の概念や用語等を一通り知ることが可能となっています。

私見

ただ、基本用語やら悟りの経緯やら何やらを知っただけで 自分もお釈迦様みたいになれるかといえば、 そうは問屋がおろさないのはご存知の通り。

※それでも「仏教=寺や仏像や坊主を拝んで私利私欲を叶えてもらう宗教」 もしくは「仏教=葬式仏教」なんてカン違いするよりは10^100倍マシだと思うが。

そもそもの話、「よーし八正道を実践するぞ!」という決意をして実践できる人は0人です。

それができれば誰も苦労しないし、これまでの内容だけで初転法輪の5人のように悟れるなら、 後の世に「ナントカ経」やら「カントカ宗」なんていう有象無象は出てきません。

だってお釈迦様の話、初転法輪の話だけでオールOKなら 他の経や宗派なんて全部余計で不要じゃないか。

その辺が言葉の限界というか、伝言ゲームの危うさというか、 お釈迦様やその弟子たちがミスったところでしょう。

なので、最終的には言葉ではなく各自が自分なりの方法を見つけて無明を何とかするしかない (お釈迦様は入滅の際に「自灯明法灯明」と言っとる。 断じて「俺や俺の言葉を崇拝せよ」などとは言っとらん)のですが、

私的ヒントを申し上げると、

無明を何とかしたいなら、自分の無明に気付く

もうこれに尽きます。

あらゆる苦しみを生み出しているのが他ならぬ「五蘊」であり、 その「五蘊」のうち4つが思考に関することであり、大方の原因は思考なので、 その原因を知識や理解といった思考の産物で何とかしようとしてもどだい無理な話です。

なので、思考とは別次元の「気付き」みたいなもので、 自分が今何をしているか気付くのが一番の解決策なのですが、 この辺はニューアースの解説とかで散々書いてきたことなので、 懸命な読者の方ならお分かりでしょう。

以上、本書についてはここまで。

次回からは、本書を読んでいれば意味がスラスラ分かる 般若心経について書いていきます。

次回に続く>>

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