解説 般若心経 その3

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今回も般若心経について書いてまいります。

今回は「色即是空 空即是色」という有名なフレーズがある箇所について。

今更こんな解説なんかせずとも、解説本や他サイトの解説を紹介し、 「これを読んでちょ」で終わらせられればよかったのですが、

般若心経の解説なんて沢山あるにもかかわらず、 下らないキレイゴトや与太話ばかりで ロクなことが書いていない本やサイトばかりだったため、 私がこのような解説を書く羽目になったというのは以前書いた通り。 (単に私がロクな本を読んでないだけかも、というのも書いた通り)

引き合いに出すのはおこがましいですが、 丁度、初めてエッセイの依頼が来たのでエッセイとはどういうものか読んでみたら、 どれもこれもつまらないものばかりだったため怒りが湧いてきて 「俺が書こう」と決意された故中島らも氏のような感じかも。

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是

そんな感じで書き始めた本解説ですが、 今回の一文を適当に和訳すると

「サーリプッタよ、色は空に他ならず、空は色に他ならない。 色はすなわち空であり、空はすなわち色である。 残りの受、想、行、識も色と同様である」

となり、それぞれの単語の意味は

といった感じになります。

何でここでサーリプッタが出てくるのか、 いつものアナンダじゃないのかと思うのですが、 この般若心経を書いた人(もちろんお釈迦様本人ではなく後世の誰か) が一番弟子のサーリプッタにしたかったからでしょう。

※「一番弟子ならモッガラーナもじゃん」とも思うのだが、 何で目連じゃなくて舎利子なのかは知らん。 しかし、お気に入りの弟子2名がそれぞれ病死と殺人、 しかも師匠が生きている間に死亡というのは、 孔子の弟子である顔回と子路に似ていると思う。

まぁ、サーリプッタやモッガラーナやアナンダのこと知りたければ 何度も書いている通り『ブッダ』を読めば良いでしょう。

ブッダ 手塚治虫文庫全集(1)

ブッダ

サーリプッタ&モッガラーナは少ししか出てこないし、 アナンダは準主役で出番多いが生い立ちはトンデモないことになっているけど。 (でもアナンダが120歳!で亡くなる際のエピソードもトンデモだから、 あんな生い立ちでも私は良いと思う)

あとついでだから書くけど、初めて太宰治の『如是我聞』を読んだ際、 「これは俺の大好きな『駈込み訴え』の仏教版やろなあ、 アナンダ目線でブッダを描いているのかな」 とワクワクしながら読み始めたら、 アナンダどころか仏教とは全く関係なく、 志賀直哉への悪口オンパレードでビックリした覚えがある。

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

というわけで、 この解説こそが他ならぬ「下らない与太話」になってきたので、 今回のメインテーマ「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」について。

まず「色不異空」および「色即是空」については、

五感でしか知覚できないため、色を真実であると錯覚してしまうが、 それは単にスペースの中で展開されている素粒子や電子(つまりエネルギー)の濃淡、 エネルギー密度の高低に過ぎない

受想行識という一連の思考プロセスについても、 神経伝達物質や電気信号といったエネルギーがスペース内で流れているだけなので、 色と同様である

みたいな感じで「色即是空」が説明できてまぁ分かるのですが、

「空不異色」「空即是色」つまり「空=色」となるのが分からず、 当初は「空⊃色」じゃないの、などと思っておりました。

でもよく考えてみると、 宇宙空間全体でエネルギーが行き届いていない部分など無く、 ブラックホールの中でさえ何かあるだろう(無ければブラックホール自体が存在しない)し、 空間は絶対的なものではなくてエネルギーの影響により変化するしで、

エネルギーあっての時空間ということで、 「空⊃色」かつ「空⊂色」といえるから、 何か「空=色」といえるじゃありませんか。

さらに、私たちが「空」などと考えた時点で、 それはニュートラルスペースでも何でもなく、 既に思考や概念が介入した形、つまり「色」になっているため、 「空不異色」「空即是色」になるのではないかと思うのですが、

本当のところはこの経を書いた作者に聞かなきゃ分かりません。

以上、今回はここまで。

次回も宇宙空間やエネルギーの話。

次回に続く>>

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