私はニート時代、伏見稲荷にお参りして天啓みたいなものを受け、 その後何か知らんけど東大に合格したり、 諏訪大社にお参りしたらブラック企業から脱出できたりしてきたので、 神社とは少なからず因縁があるのですが、 今回は私個人の、神社に対するあれこれを述べてまいります。
まずはおみくじの順番についてですが、 神社本庁公式だと「大吉、吉、中吉、小吉、末吉、凶」 の順になっております。
にもかかわらず、大吉の次に良いのが中吉だと思っている人が結構います。
大吉の次に良いのは吉であり、 そんなのおみくじの中身を読めば分かるはずなのに、 それだけ見出しの吉凶部分しか見ない人間が多いということでしょう。
カレーの大辛、辛口、中辛、甘口において、 中辛が辛口よりも辛いわけないのと同じく、 中吉が吉よりも良いということはないのです。
ともかく、おみくじにおいて重要なのは 大吉やら凶やらの見出し部分ではなく、その中身であり、 何か得られるものがあると感じてそれを得るならば、 おみくじ代以上のものが得られるでしょう。
なので中身をよく読みましょう。 諏訪大社のおみくじにも「持ち帰ってよく読め」と書いてあります。
ちなみに私、清水寺と平安神宮で立て続けに凶を引いたことありますが その後紆余曲折はあったものの、結局は東大に受かったので、 やっぱりおみくじは見出し部分よりも中身ということになります。
お次はお参りの仕方についてですが、 私が言いたいことはただ一つ、お参りはサッと済ませろということです。
これはパワースポット(笑)ブームに影響された連中に多いのですが、 うしろで地元のお年寄りたちが待っているというのに、 長々と、酷いのになるとマントラみたいなのを唱えながら5分以上、 賽銭箱前を占拠しているのがいます。
私が神ならば、そういう輩には神のご加護でなく鉄槌を下しますし、 そうやって必死に長々としつこく願っていること自体が、 「この願いが叶うはずがない!」と心の奥底で思っている証拠ですし、 何より神様を信頼していない証拠だと私は思います。 (そういう人間は、自分自身すら信頼できていない)
神頼みをする時は 「家族健康に過ごさせて、はいヨロシク!」 「志望校に合格させて、はいヨロシク!」 「お金持ちにさせて、はいヨロシク!」 くらいの軽さで充分なのです。
その程度の軽さでも動いてくれるのが、神様の偉大な力であり、 姑の小言の如くネチネチお願いするということは、 「神様の力はちっぽけで、嫁と同じくネチネチ言わないと動いてくれない」 と思っているからに他ならないと、私は考えております。
そんなわけで、誰が何と言おうと私としては、 神頼みするなら気軽に済ませろ、軽い方が天高くまで届くってもんだ、 ということを主張します。
長くなってきたので、お寺で願い事は叶うか?:私的神社観 後編に続く。
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