お守りの効果やご利益について語る

以前ブログに書きましたが、私は神社や寺に行くと 何となくお守りを買ってしまい、それが結構な数になっています。

東大六郎のお守りコレクション
お守りコレクションのほんの一部

上の写真は数ヶ月前に撮影したものですが、 伊勢神宮や法隆寺等のお守りも加わり、さらに増えてしまいました。

惰性でお守りを買うのも段々アホらしくなってきたので、 そろそろ止めようかと思っている今日この頃ですが、 私が日々思っているお守りの効果について、今回は書いていきます。

ただお守りを買っただけでは効果なし

上の写真は、私のお守りコレクションの一部です。 これだけ持っているんだから、さぞかしご利益があるんだろうと 思う方もいらっしゃるかもしれませんが、惰性で買っているんで、 そうでもありません。

やっぱり惰性で沢山持っていても効果は無く、 お守りを買う時は「この神社ならご利益あるかも!」と ピンときたところで買えば良いと思います。

私のように参拝記念に買うのも充分アリだと思いますが、 やっぱ効果やご利益を期待してこそのお守りではないでしょうか。

大事なのは本人の「念」

いきなりですが、下の写真を御覧ください。

頭の良くなる水晶

ただのクズ水晶のように見えますが、実はこれ、 私が小学生の時に阿蘇の麓で買った「頭の良くなる石」 というシロモノです。

買った場所は霊験あらたかな神社でも何でもなく、 ただの土産屋で、確か300円でした。

子供ながらも何ともインチキ臭いと思ったのですが、 頭が良くなりたかった私は、ついつい買ってしまったのでした。

そして、小学生の時からず〜〜っとこの石を持っていると、 少しは頭も良くなり、東大に合格して卒業することもできました。 今でも専用の巾着袋に入れて、持ち歩いています。

「馬鹿馬鹿しい」とか「インチキ」とか思う方もいるでしょうが、 やっぱず〜っと持っていると何かの「念」のようなものが 憑いたように感じられるのです。

「鰯の頭も信心から」という言葉はバカにする意味で使われますが、 鰯の頭だろうが何の変哲も無い水晶だろうが、 本人が信じて、何年間もず〜〜っと「念」を送っていれば、 何らかの力が憑くのではないでしょうか。

ですので、お守りもずっと持っていれば、どの神社で買ったものだろうが 何のお守りだろうが、何らかのご利益が出てくるのだと私は思います。

お守りの一年ルールなんて嘘っぱち

ところで「お守りは一年で交換しましょう」と書いてある神社があります。 これを真に受けて本当に一年で交換している人は殆どいないでしょうが、 私に言わせるとこの「一年ルール」は、神社側の都合としか思えません。

大体、一年毎に交換しなきゃいけないような貧弱な力しか持っていない お守りなんて、こっちから願い下げだし、 上に書いたように、何年も持たないと本人の念が移らないじゃないですか。

その辺の「雑音」は切り捨てればよいと思うのですが、 気になる人は「一年ルール」が書いてないところで買えばよいと思います。

私の体験:お守りの説明不可能な効果

そういうわけで、「お守りは何でも良い。大事なのは本人の意思」 というのが私なりのお守りに対する考え方なのですが、 ひとつ不思議な体験をしたことがあります。

あれは某年1月、私は雪の積もった山道を走っていました。

標高1600mくらいの山道で、積もった雪がことごとく凍っており、 スタッドレスを履いていたのですが、運転が下手糞だったので、 車をスリップさせてしまいました。

車は道路から飛び出して崖下に転げ落ち、 切り株に串刺しになりメチャメチャに壊れてしまいました。

ああいう時って、本当にスローモーションになるんです。 死んだかと思いました。

しかし、私は何ともありませんでした。 怪我といえば、シートベルトで宙吊りになったところが 痛くなったくらいでしょうか。

何であんな事故を起こして無傷だったのか、今でも分かりません。 ただ、出かける時、諏訪大社のお守りをポケットに入れていたのでした。 別に諏訪大社に特別な思い入れは無く、何の気なしに入れたのでした。

その後諏訪大社に何度もお礼参りに行ったのですが、 こういうこともあるんだぁ、と思った次第であります。

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