前回の記事:意識の力で病気を治す
今回から『快癒力』の内容について書いてまいりますが、
前回も言ったように、この本、色々と繰り返しが多いし、サイババだの先祖の墓だの出てくるので、 その辺は飛ばして私なりに重要だと思った箇所について好き勝手書いてまいります。
平易かつまとまりのない文章をまとめるのは、 なんだかウナギのつかみ取りをしているようで、 抽象的かつ難解な文章をまとめる以上に疲れます。
まぁこんな下らない記事でなく本書をキチンと読みたい人というは、 Amazonで1円から売っているので買って読んでください。
あと、本書よりも続編の『快癒力2』の方が 綺麗にまとまっていて読みやすいという印象を受けました。 (それは『脳内革命』でも同様)
まずは「まえがき」から。
この36ページくらいまでのまえがきで、 著者が言いたいことの大体が書かれています。
なので実を言うと、「まえがきだけ読めば良くね?」ということになるのですが、 それを言うと身も蓋もないので、ここだけの話とします。
ともかく、まえがきの内容をザッとまとめると以下の通り。 書いてある通りでこれ以上解説のしようがありません。
このような前回の概要と同じような内容となり、引き寄せ本と違うのは、 著者が医者として実際に患者さん達を診てきて感じたことが書かれているので、 信憑性が桁違いだということも前回書いた通り。
以降の本文では当まえがきに沿って色々書かれておりますが、 まとめ的な意味合いでこのまえがきを何度も読めば、本書の概要は大体把握できます。
一方、「まえがき」には書かれていないことでまず印象に残った箇所といえば、 2章のP.138から書かれている「病気が治らない人」で、それは以下の3種。
簡単に説明してみると、
1の「治りたいとバタバタする人」というのは、 病気という体に起きたメッセージは無視したまま、「病気=表面に現れた症状」だと勘違いし、 症状を消すために躍起になったり、早く治らなければと焦ったりする人のこと。
まえがきや他のページにもあるように、病気とは症状のような表面的なものではなく 宇宙からのメッセージであり、病気自体に良いも悪いもないのですが、
自分と病気に気を使いすぎる人は「病気=症状=悪」と決めつけ、病気に全神経を集中し、 あれこれ心配したり色々もがいたりして、 結果、自分を苦しめるのにエネルギーを使ってさらに悪化させるというわけです。
身に覚えのある人、多いのではないでしょうか。
2の「治らないと思っている人」は、 病気は自分の意識を変えることで何とかなると思っておらず、 医者のような権威に「治らない」と言われたらそれを鵜呑みにし、 同じ病気で苦しんでいる他の人々について見聞きしたら自分もそうなると鵜呑みにする人たち。
要するに主体性の無いおバカさんのことでありますが、 私を含め殆どの人間が「常識」やら「現実」やらの思い込みに縛られたおバカであります。
3の「治らない方が都合の良い人」は、 病気が「逃げ口上」や「アイデンティティ」や「暇つぶし」になっているケース。
「病気が逃げ口上になる」は、 病気になれば学校や仕事を休む良い口実になるし周囲から優しくしてもらえるということで、 これは皆さんも心当たりあるのではないでしょうか。
「病気がアイデンティティになる」はニューアースにも書かれていたことで、 「病気=自分」なんてやるとエゴが強化されて大喜びし、病気を掴んで離さないというやつです。
ネット上においても、病気に関してしょっちゅう話題にしている人は、 本人がどう思っているにせよ少なからずこれに当てはまるのではないでしょうか。 (病気が治ったら持ちネタがなくなってしまう!自分が自分でなくなってしまう!)
そして「病気が暇潰しになる」、 これが普段人々が意識していないことで、私が一番厄介だと思ったやつ。
普段何も刺激的なことが起こらず「やることないなあ」「あー退屈だ」 「何か面白いことないかなあ」なんて毎日毎日思っていると、 「じゃあ病気にでもなったらぁ。そうすりゃ刺激的な毎日だろう」ということになるわけです。
※こう考えると、酒や煙草で病気になるのではなく、 酒や煙草で刺激を与えなければ退屈で死んじゃうという性根こそが、 病気の原因ではないかと私は思ってしまう。 これは酒や煙草に限らず、ゲームやジャンクフードやセクロスなんかも同様。
その証拠に、『快癒力2』に詳細が書いてあるのですが、 病気がなかなか治らない患者に対して著者が「病気が治ったら何したいですか?」と尋ねると、
「絶句(これが殆ど。考えたこともない)」「仕事がしたい(大嘘)」「家事がしたい(大嘘)」
「旅行したい(もうやってる!遠方から著者の病院がある倉敷へ行くのは立派な旅行)」
「人の為になることがしたい(大嘘)」「太いシーチキンが欲しい(違うだろぉ)」
などとロクな答えが返ってこないし、
「本当にやりたいなら、今からやってみてはいかが」と著者が言うと、 デモデモダッテと数々の言い訳が返ってくるとのこと。
「結局、病気が治ってもやりたいことがない、楽しくない人生を送っている。これじゃ病気になってしまう」 と著者は結論づけていますし、
かく言う私も足を捻って痛めた時、階段ひとつ登ったり便器に腰掛ける度に、 平凡な日常生活とは比べ物にならない、激痛による一大スペクタクルが展開され、 図らずも今となってはそのスペクタクルを懐かしく思ってしまうので、 この辺のことは痛いほど分かります。激痛だけに。
ともかく、いつもの通りですが、 自分が病気になったときに自分の内面はどんなになっているかまずは観察してみる、 これが第一歩だと私は思います。
以上、このような感じで次回も適当に書いてまいります。
病気が治る人の種類に続く。
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