第3章九節から十節:解説まとめ『ニューアース』完全版

前回の記事:第3章七節から八節

前回は

「エゴや無意識は全人類共通のもの」 「闘いはただの思考パターン」

ということを書きました。

3章も終わりに近づいた今回は、「自分の中に争いを望む『何か』が存在する」という話と 「真のアイデンティティ」についての話。

3章九節 平和と波乱どちらを望むか? Do You Want Peace or Drama?

まずは短い九節から。

「平和と争いどっちが欲しい?」「平和と波乱とどっちが辛い?」と言われたら ほぼ全員が「平和です」「相撲波乱の方が辛いです」と答えることでしょう。

じゃあ全人類が平和を選び、この世界が平和かというとそんなことはなく、 今日も世界のどこかで殺し合いが起きたり、 日本のどこかの路上やネット上やらでイザコザが起きているわけです。

「皆が平和を望んでいるはずなのに、一体何だこれは」となるのですが、 この理由は、あなたや私の中に波乱や紛争を望む「何か」がいるからとのこと。

その「何か」に気付こうというのが当節の主旨で、

他人から批判された、拒絶された、金で争いになった、 昔起きた嫌なこと、昔された嫌なことを思い出した… このような「引き金」が引かれたとき、

ということであります。

ちなみに、この「何か」が何なのかは、 賢明な読者の方ならもうお分かりでしょう。

3章十節 エゴを超えて:真のアイデンティティ Beyond Ego: Your True Identity

お次は九節を受けての十節で、当節が3章の要となります。

本章では「俺が正しい!」「俺が一番優れている!」 「そうでないと、そう思い込まないと、取るに足らないちっぽけな俺は生きていけなくなる!」 という無意識の強迫観念に基づくエゴの奮闘をみてきましたが、

そうやって闘っているエゴは実はただの妄想で、 そのエゴという名の妄想が「俺こそが『自分自身そのもの』だ!」と思い込んでいるから、 茶番に過ぎない争いが「何が何でも勝たなきゃいけない闘い」 になっているのが本当のところなのです。

※自分が当事者なら「この正義の闘いが茶番だなんてとんでもない!!」と思うかもしれないが、 傍からみれば争いなんて殆どが下らない理由から始まる茶番であり、道化芝居そのものではないか。

なので、「その妄想が引き起こしている茶番を観察しましょう、 過去を引きずっている感情パターンに気付きましょう」とあり、

なんてことが当節には書かれています。

ただし!こんなもの頭で覚えてもハッキリ言って無駄で、 「私は今に在る意識です」「私は万物の源とつながった生命エネルギーです」 なんて考えたり言ったりしてみても、それはただの思考に過ぎず、 既存の思考に新しい形が追加されてエゴは大喜びだというのは、 今まで書いてきた通り。

じゃあどうするのかというと、当節にある通り

「私が知覚し、体験し、考え、感じている対象は自分ではないし、 無常で移ろう形の中に自分を見出すことはできない」と明確に見抜くこと。

ということで、これはラマナの『Who Am I?』の内容そのままで、

今述べたこと全てを「これではない」「これではない」と否定していったあとに、 ただ一つ残る覚醒—それが私である。

覚醒の本性は、存在—意識—至福である。

というわけです。

私が初めてニューアースを読んだときはこの辺なんて特に意味不明だったし、 殆どの人が「なんだコレコレ意味不明だよ!」という感想でしょうが、 エゴにはこんなもの理解できないので意味不明で当然なのです。

じゃけん、頭で理解しようとせずに自分の思考や言動を観察し、 自分が何をしているか気付きましょうね、 そうすると人生における絶対的な重要性が相対的なものに変わっていき、 人生において深刻さを感じなくなってきますよ、ということであります。

今回はここまで。次回でやっと3章が終わります。

第3章十一節から十三節に続く。

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