前回の記事:第5章十一節から十三節
前回でやっと半分終了となりました。
エゴとペインボディの説明で重苦しかった前半もようやく終わり、 本章からは幾分明るい?内容となってきます。
まぁ、いままでの章でも都度解決方法が記載されており、
それは「たった今、自分が何を考え何をしているのか気付くこと」 だということは散々書いてきた通りなのですが…
まずはペインボディへの対策が大まかに書かれた第一節。
前々回の解説にも書きましたが、ペインボディを持っていること、 ペインボディがエサを求めて活動することが問題ではなく、 ペインボディに乗っ取られて「ペインボディ=自分だ!」と同一化することが 様々な問題を生んでいる、というのが本当のところ。
なので、まずは自分がペインボディを持っていることを誤魔化さずに正直に認めましょう。
そして、重苦しい、イライラした気分が湧き上がってきたときは、 ペインボディが「争い、不幸、痛みよ来い!」とエサを求めている合図なので、 頭で誤魔化したり理由付けせずに、「あっあっペインボディだ」と気付きましょう。
気付くことができれば、ペインボディは最早あなた自身のフリをすることができず、 よってエサを吸収することもできなくなるため、 段々と縮んでいき、最後には「今に在る」意識へと変化するというわけです。
※事実、今まで頭にきていたものに対して怒りが湧いてこなくなったりして、 最初は「あれ、何で?」「ちょっとズレてるかな」と違和感を感じたりする。 何で怒らなくなるのか、本当に本書の説明通りペインボディが変化したのかは分からないが、 そうなるからそうなるのだろうということで納得している。
お次は著者の体験談で、 ペインボディというフィルターを通して世間を見ている女性の話。
体験談だけあって読みやすいのですが、2章六節の指輪のエピソードと同じく、 他人事として読んでいたら「へぇそうかい、そりゃよかったね」で終わるので、 自分のこととして読みましょう。 (親に虐待された、イジメに遭った等、辛い思い出を持つ人間は特に)
自分のこととして当エピソードを読んでいると、
- 今の感情、思考、感覚が紛れもない今の私の感情、思考、感覚である。 これは「今」そうなので、他にどうすることもできない。
- 「こんな状態は嫌だ!」「他の状態にしたい!」と悪あがきしても、苦しみに苦しみを重ねるだけになる。
- 「今の状態、今の不幸を受け入れられない」と言っているのは誰だろう? 私が自分の不幸を気にしなくなったら、その不幸はどうなるだろう?
- 自分のなかに生きている古い苦痛の感情に自分を同一化するのをやめたとき、 そしてそれに抵抗せずにただ観察したとき、古い苦痛は最早私の思考の支配者ではなくなる。 古い苦痛は、マインドで作り上げた「不幸な私」という物語の一部でもなくなる。
- そして、人生に過去を乗り越えた新しい側面、「今に在る」という側面が現れる。
- マインドや苦痛との同一化の終わり、不幸な物語がなければ不幸でいられない、 それはペインボディの終わりの始まり。
- 感情自体は別に不幸ではない。感情に不幸の物語がくっついたとき、不幸が発現する。
ということが、読んでいるうちに実感、実体験としてとして分かるでしょう。
「読んでもサッパリ分からない」という人は、 頭で考えて内容を理解しようとしても無駄だし何の効果も無いので、 「分かろうとする姿勢になる」「分かるときがくる」 までは苦しみ続けるしかないです。
三節は二節の続きで、個人的にみえるけどあるレベルでは全てつながっている、 人間の普遍的なペインボディについての体験談。
「不味けりゃ食わなきゃいいじゃないか」とウェイターに直球を言われてキレた男は、 別に心の底からキレたくてキレたわけではなく、 不幸や苦しみを積極的に求めるペインボディに操られ、 無意識状態だったということです。
当節については他に書くことも無いのですが、 「Returnを逆襲と訳すのはどうなの。『ジェダイの復讐』みたいじゃないか」とは思いました。 (とはいえ「ペインボディの帰還」だと違和感ある)
まぁ、当節に書かれているレストランでなくとも、 ブラック企業の社内の雰囲気なんてモロにペインボディ特有の重苦しい空気であるのは、 ブラック企業に勤務されている(いた)人ならよく分かるのではないでしょうか。
今回はここまで。
第6章四節から五節に続く。
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