「私は、自分では何もできない」

前回の記事:成功することについて

前回に続き、今回もラストあたりについて書いてまいります。 というか、前回と同じく人生を上手く生きていく(成功する)ためのお話。

私は、自分では何もできない

タイトルの台詞はP.643あたり(電子書籍版、紙書籍だと2分の1)にあり、 元々ヨハネ福音書5章30項にあるイエスの言葉です。

じゃあ誰がするのかというと「天の父」がイエスの身体を通してするのですが、 当記事ではそれは置いときます。

前回「今成功しよう」などと成功の秘訣について書きましたが、 こういうこと書くと、以前の私の様に「よおし!『今』成功するぞお!!」 などと力んでしまい、結局失敗してしまう人多いと思います。

そこで、「私は、自分では何もできない」と実感することは、 宇宙の力を使う際にとても大事な要素であり、 「自分」の無力さを実感できた時、 初めて宇宙の力(みたいなもの)を使えるというのが今回のテーマ。

「自分では何もできない」の「自分」とは、もちろんエゴに囚われた自分のことなのですが、 こんなこと書くと「冗談じゃない!それはつまり諦めろということだろう」 「諦めたら底辺まっしぐらじゃないか!」なんて思う人もいるかもしれません。

私もそう思っていたのですが、自分の半生を振り返ってみると、 以下の様なことを思い出しました。

「私は、自分では何もできない」について:私の場合

東大受験の時

受験のコーナーの記事では、まるで私が艱難辛苦に耐えて 最後まで諦めずに東大に合格したかのように書いておりますが、 実はちっともそんなことはなく、サボった回数は数知れずだし、 特にセンター試験で爆死した後は「放心状態」になり、 3週間勉強が手につきませんでした。

そのセンター後の「放心状態」になった時、 「もうダメだ。俺は無力だ」みたいな無力感と共に、 今まで溜まりに溜まっていた身体中の力がフッと抜け、 何か透明な、穏やかな力みたいなものが湧き上がってきたのです。

今までは怒りとか妬みとか憎しみとか、そんなドス黒い力ばかりだったので、 「この感覚は一体何だろう」とビックリしたのですが、 当時の私には分からず、その状態は受験終了まで続いたのです。

ブラック企業脱出した時

東大受験時の感覚がずっと続けば良かったのですが、 すぐ元の木阿弥となった私は、東大在学中も色々苦しみ、 卒業してからはさらに苦しみ、とうとうブラック企業で苦しむことになりました。

ブラック企業で散々苦しんで体調まで崩した結果、 自分の能力では「お手上げ状態」となってしまいました。

「東大まで出たのに結果はこれか」とも思いましたが、 最早カッコつける余裕も無かったので、今まで馬鹿にしていた精神世界とか そういうものに手を出したら、あれよあれよという間にブラック企業脱出し、 1年後には年収が700万円となったのでした。

あきらめるタイミング

というわけで、「自分では何もできない」状態になった結果、 自分個人を超えた何かの力、宇宙の力が働き、 自分では到底信じられなかった結果となった、私の事例2つでした。

このあきらめる、というより「エゴの力を捨てて脱力するタイミング」なのですが、 私のようにエゴが強く、なおかつこの感覚を未経験の人は、 やり方やテクニック云々なんて関係なく、 散々苦しまないとその状態にならないので、散々苦しむ羽目になると思います。

「冗談じゃない!俺は苦しみたくない!!」なんて思うでしょうが、 『ニューアース』では「私は苦しむべきでないという声はエゴの声」とありますし、 事実、エゴの強い人は日常生活において様々な不満や怒り、自己正当化で酷く苦しみ続けています。

そういう人は苦しんで苦しんで、もう苦しむ気力さえ無くなった時、ふと反転が起きるので、 苦しみでお手上げ状態になるのを楽しみに?しておいてください。

逆に、この感覚を体験済みの人、エゴの弱い人は、 試しに「私は、自分では何もできない」状態になって(適当でOK)、 仕事とか家事とかやってみれば良いです。

※別に自分がすることだけでなく、 花粉症とか風邪等の体調不良でも実験可能。

何か知らんけど上手くいき、「ああ、やっぱり何かすごいや」 という風になると思います。

そうやって証拠を集めていくと、疑いが確信に変化していき、 楽しい人生を送れるのではないでしょうか。

「私は、自分では何もできない」まとめ

まあそんな感じで、次回も適当に書いてまいります。 次回は最初らへんに戻って「人類の無意識」とかそういうのになると思います。

ペインボディとポジティブと気付きに続く。

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