2章 アイデンティティの以降 解説まとめニューアース2017

前回の記事:幻は幻と気付けば消える

前回に引き続き今回も2章です。

今回は2章にある「アイデンティティ」周辺について書いていきます。

「人は自分の身体、肩書、所有物、所持金額、他人からの評判等、 色々な”形”にアイデンティティを見い出し、それが狂気の世界を生んでいる」

みたいなことが本書には書かれていますが、一体どういうことなのでしょうか。

エゴとアイデンティティ

まず考えてしまうのは、 そもそも何でエゴ(の構造)みたいなものが存在するかということですが、 本書には成長過程の中で自分の呼び方が変化するにつれて構造が作り上げられていく、 みたいなことが書かれているけれども何でそうなるのかは書かれていません。

進化の過程で遺伝子に組込まれたものなのか、 周囲の人間達が全員そうしていたから影響を受けた等の後天的なものなのか、 私にもよく分かりませんが、一つ明確なのは、そういう構造が私の中に存在するということです。

ともかく、私の中に存在しているエゴの構造は、絶えず不安と恐怖を覚えており、

「自分が何者かでないと耐えられない」 「自分が(思考を含め)何かしていないと耐えられない」 「自分に刺激が無いと耐えられない(刺激の質は全く問わない)」 「ジッと静止している、静寂の下にいるだなんて耐えられない」

こんなことを常に考えるように仕向け、常に何かを渇望しているわけです。(上記の通り理由は知らん!)

本来の私というのは、「大いなる存在、宇宙、生命エネルギー、源、意識」など呼び方は何でも良いですが、 本来はそういうものなのに、エゴはこの世界にある”形”にアイデンティティを求め、 宇宙と本来の私とを切り離して「ちっぽけな私」「幻の私」というものを形成し、 本来の私という存在を覆い隠しているのです。

それだけなら良い?のですが、殆どの人間は「ちっぽけな私」を人生のメインに置いて、 そのことにすら気付いていないし、

運良く?形にアイデンティティを見出すことができたとしても、 完全に同一化することは不可能なため「もっともっと」という更なる欲望が生まれて無限地獄となるし、 形は必ず崩壊するため、自分と同一化していた形を失う時、さらなる地獄の苦しみが生まれてしまうのです。

これを「狂気の世界」と呼ばずして何と呼べばよいのでしょうか。

恐怖と欲望を理由に自らに苦しみを求め、 その刺激を受けて一時的にでも満足しているだなんて、 端から見たらただの変態ではないですか。

ちなみに、本書で書かれているエゴの構造による同一化の対象は以下の通り。

気付いて笑えばいい

というわけで、何でか理由は分からないけど「エゴの構造」というものが私の中にあり、 それが”形”にアイデンティティを無意識のうちに見い出す、 そのために私は狂気の世界に生きて地獄の苦しみを味わっている(しかもそれを喜んでいる)、 というお話でした。

そういう地獄の苦しみから抜け出したいなら、自分が何にアイデンティティを見出しているか、 自分が何に執着し同一化しているかに気付いて一つ一つ潰していくのが近道だけれども、

そんなことしなくてもトイレで鏡を見た著者のように、 いきなり「本来の私」へアイデンティティが移行することもあるが、

結局は9章の頭らへん(電子版だとP.553。紙媒体はこの半分)にある通りで、

目覚めの為に何か準備したり功績を積み重ねたり段階を踏むことはできない。 目覚めや悟りを所有物か何かとカン違いしてレッテルを頭に焼き付けるだけになる。 自分でどうこうして目覚めることはできないし、思考で分かるものではない。 ただ、プロセスが始まれば、エゴに邪魔されて遅れはすれど後戻りはしない。 ふいに「そうか、そうなんだ」となる。

ということでございます。

じゃあ結局どうなんだという話ですが、やっぱり気付きなくして「新しい地」はありえないので、 自分がいかにインチキに騙されていたか気付くのが一番だと私は思います。

ただ、よくあるスピリチュアル系みたいに「恐怖や欲望を捨てろ。良い人間になろう」などとやっても、 エゴ的高揚感(引き寄せ本とか本書を読むと得られる一時的な高揚感)や 自己イメージの強化を求めているだけで全くの無駄だし、

「俺は何にも執着しないぞ!!」というのも、そういう思考にアイデンティティが移行しただけなので、 「執着しないという思考に執着する」という状態になってしまいますし、本書にも書かれています。

なので自分の中にあるエゴの構造や苦しみに気付いたときは「ああ、こんなのがあった」 「今までこんなインチキに騙されていたのか」程度で充分だし、

「なんて見苦しいエゴなのだ」「こっちのエゴ(所持金と同一化)なんかさぁ、すごいんだぜ」 「同一化してんの?」「してるしてる」「見苦しいなぁ…」「すごく見苦しいエゴだよ」

とかやっていると、「なんでこんなことすんだよ…やめてくれよ…」と、 エゴの構造が崩壊しエゴが縮小していくわけです。

というわけで、エゴには手品のタネみたいに気付くだけで良い、 エゴと戦おうエゴを滅ぼそうとしても エゴがさらに強化されるだけだということで、この辺は追々書いてまいります。

今回はここまで。

所有とモノとエゴに続く。

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