前回の記事:ほんとうの自分
今回も7章。
前回は引き寄せについて書きましたが、 今回はそれに関連するというか、人生のメインであるだろう「幸せ」について。
私も100%本書の通り実感しているわけではありませんし、 何より適当に書くので、おかしいと思ったらこんなの読まずに本書を読んでください。
この物質世界にある「形」と呼ばれている肉体、モノ、コト、思考などは絶えず変化するので、 それらと自分とを同一化していると、形は不安定で変化によって上下するし、 形あるものは必ず崩れるので、いずれ喪失の苦しみを味わう、というのがいままでの話。
これは所謂「幸せの追求」にも当てはまり、 形に幸せを求めていると、変化によって上下するというのが今回のお話。
本書には、
「形」に囚われたり抵抗したりすると、「形」が強固で永続的なものに感じる。 「形」が限界となり、「形」を深刻なものに感じる。
幸、不幸は「形」次第、出来事次第で、幸福は「形」に依存すると思い込むと、 「形」に囚われたまま。「形」を超えて存在している完全性を見逃す。
そもそも幸福を「追求」することが間違い。 「自分は幸福ではない」と証明しているだけだし、追えば逃げていく(これは4章)。
なんて書かれており、形に囚われているとそこまでよ、ということでございます。
これは日常生活を観察してみれば、 「所持金が増えた、減った」「新車を買った、事故った」「運命の人と出会った、別れた」 「上司から評価された、されなかった」 とかいって、事例なんて次々と見つかります。
自分の幸/不幸を、いずれ崩れ去る無常な「形(出来事も含む)」に依存するだなんて、 何とも馬鹿らしいことだと思うのですが、 かくいう私もやっているので偉そうなことは言えません。
ではどうすれば良いのかというと、 まず「ああ、俺は下らないことをしているな」と気付くこと、
自分が同一化しているものが変化したり喪失したならば、 正当化したり被害者ぶらずに、そのまま放っておくことです。
あとは7章に書かれている通り
この様なことを頭の隅にでも留めておいて実感すれば、 「私という存在」が「形」という牢獄から解放され、 8章に出てくる「内なる空間」を発見できるというわけです。
まぁ、まずは形に囚われていると気付くことがカギとなり、 「ああ、この”存在”自体が幸せそのものなんだな」と少しでも気付ければ、 ちょっとは変わっていきます。
どうしても形に囚われていることに気付けない、 幸福は形に依らないことが分からないという人は、 FXに有り金全部ぶっ込んで「バナナウ○コぱくぱくもぐもぐwww」 状態になればよろしいかと思われます。
形の崩壊と共に、きっと新しい意識が開花することでしょう。
ところで、7章には白隠禅師の”Is that so?”というエピソードが出てきます。
当初はそのエピソードに基づき「形に囚われない、抵抗しない」というのはどういうことか、 あれこれ書こうと思ったのですが、そんなの本文を読めば分かることなので、 先日、白隠禅師の墓参りをしたときの写真を紹介してまいります。
記事のカテゴリが違う気もしますが、 ニューアースと大いに関係あるのでまあ良いでしょう。
※決して文章を書くのが面倒になって手抜きしているわけではありません!!
というわけで墓参りツアーでしたが、松蔭寺付近には他にこれといった観光地はありません。 墓参りした後は、東の沼津港か西の田子の浦のどちらかに行けば良いです。
以上、今回はここまで。
依存症と意識に続く。
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