解説まとめ『私は誰か?(Who am I?)』その2

前回の記事:『私は誰か?(Who am I?)』その1

今回から『私は誰か?』の本文について解説してまいります。

前回も言ったように、これから書いていく解説はあくまで私個人の意見であるし、 本文自体もあくまでラマナの意見で「これが絶対正しい」ということはないため、 真に自由になりたければ自分で見出すしかないのですが、まぁ書いてまいります。

あと、今回の解説はあまりふざけたりネタを挟んだりせずに、 できるだけマジメに書いていこうと思っておりますが、

その決意も何か怪しいし、それよりも途中で飽きて投げ出すかもしれません。

第1問:私とは誰か?

そんなわけで第1問目の「私とは誰でしょうか」について。

こんなことが書いてあり、 これらは断じて「私」などではなく、『ニューアース』でいうところの「エゴの中身」に過ぎないというのは、 当サイトを読まれている賢明な読者の方ならばお分かりでしょう。

それより何より、私的には生殖器の役割が「楽しむ」だという記述に感銘を受けましたヮ。

「新たな個体を生み出すこと」にしなかったのはホモLGBTレイズナーの方々に配慮したのかな? この時代に進んでるねぇ、などと思ってしまいました。

あと最後の「対象物の印象だけが刻みこまれた無知も、対象物も働きもない無知も…」はちょっと意味不明という印象を受けます。

ここでの「無知」というのは、 英語版ではnescience(主に信仰に対する無知)となっており、やはり意味が分かりかねますが、 「半端な知識でも全く知らないことでも」くらいのニュアンスで良いんじゃないかと思うし、

そもそもの話、こんな議論や解釈をおこなう思考も「私ではない」ので、 こんなもの合っていようが間違っていようがどっちでも良いのです。

第2問:もし私がこれらのものでないなら、私は誰でしょうか?

続いて第2問。

この問いに対する答えは、

今述べたことすべてを「これではない」、「これではない」と否定していったあとに、ただひとつ残る覚醒——それが私である。

とありますが、この回答、特に「覚醒(Awareness)」について頭で考えたり感覚で捉えようとしても、 絶対に分からないというのは、皆さんご存知の通り。

理由は簡単で、第1問で述べたように、思考や感覚というものは私ではなく、 その「ノットイコール私」が、 私について理解しようとしても無駄である、というのは理解できるでしょう。

※もしくは、虫取り網でシロナガスクジラを捕まえようとするようなもの、ともいえる。 それくらい思考や感覚というものは極めて制限されたものである。

じゃあどうすればいいんだという話になりますが、それは前回の通り、 「私は誰か?」と絶えず問いかける、これしかないです(「これしかない」てことはないけど。どっちやねん)。

そんな感じで、ある日急に「何か」分かったりするのですが、

というのが紛れもない真実で、「『幸せ』になりたい」 「悩みを全て無くしたい」なんて考えている人にとってはとんだ徒労に終わるので、最初からやらない方が良いです。

何か夢のない話になってきたけど、 世間で言われる大抵の「夢」というのは、ただの「欲望」だよと思いつつ、今回はここまで。

次回:『私は誰か?(Who am I?)』その3に続く

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