現代日本にはびこる価値観

これまで、自分の現実を広げることについて話してきましたが、 今の日本で自分の現実を広げるということは、 生きていく上でかなり重要なことだと思います。

その理由を、ダラダラと書いていきます。

自己紹介にも書いたとおり、 私は生まれてからずっと、この日本で生きていくだけで窮屈な思いをしてきました。 東大卒業してからやっと「生きているだけで、なんでこんなに窮屈なんだ」と考えるようになり、 最近少しずつ理由を自分なりに考えられるようになりました。

現実を広げなければならない理由1

現在の日本で大多数の人は、

小、中、高と毎日学校へ通う→「良い大学」に合格する →「良い会社」に就職し、一生家畜みたいな生活を送る…

という生き方しか、生まれた時から教えられていないからです。 (東大においても、上記のような生き方を 「素晴らしい人生」とする人が大勢を占めています。 だから東大生でも、自分で起業などを考える人間は少数で、 みんな「良い会社」に就職します)

そして殆どの人が、6歳頃から家畜になる教育を受けさせられ、 周囲に言われるがまま学校を出て就職して、「金を失う恐怖」や 「安定を失う恐怖」に束縛され、家と職場を何十年も往復し、 「このままでいいのか」「これが俺の望んでいた人生なのか」と疑問を抱きながらも… 結局何もしないまま、豚や牛のような一生を終えます。

家畜とは、「人間が生活に役立てるために飼育する動物」 のことです。

経営者一族の生活を成り立たせるために、はした金で飼育され、 周囲の期待や周囲の目といった檻で囲まれて生きている、 サラリーマン、公務員、勤務医などは、本物の家畜と一体何が違うというのでしょうか? (だから「社畜」という言葉がありますが、 社畜だと民間企業のサラリーマンだけという感じがするので、ここは「家畜」で通します。)

まぁ、ここまでは百歩譲ってよしとしましょう。 (良くないけど)

家畜のような人生を送りたい人は、 何の疑問も持たずに送ればよろしいじゃないですか。 1つの生き方や価値観しか教わってこなかったわけだから、 仕方の無いことだと思います。

現実を広げなければならない理由2

私が更に問題だと思うのは、 現在の日本にはびこる生き方や価値観と異なる生き方をしたり、価値観を持った人間がいると、 集団で無意識のうちに、よってたかって排除しようとすることです。

私が中学生の頃、いじめを受けているわけではないけど、 学校に来ないクラスメートがいました。

今の私なら 「なんてうらやましいことするんだ!こんなつまらん学校、 俺も明日からサボっちゃおう!」 と心から思い、そのクラスメートを陰ながら応援するのですが…

家畜になる為の教育に洗脳されていた当時の私は、口には出さないものの 「なんだ!来なきゃいけない学校に来ないなんて! アイツは人生の負け犬だ!!」と本気で思っておりました。

他のクラスメートたちも、程度の差こそあれ、 当時の私と同じことを考えていたことでしょう。

そして、 「学校に来ないことは恥ずかしい、来ないやつは負け犬」 という無言の圧力を、お互いに与え合い、 「嫌々ながらも学校に来ている俺は、負け犬じゃなくって良かったなあ〜」 などと、本当にどうでもいいことに安堵感を覚えるのです。  自分たちは家畜だということも自覚できずに。

現在の日本における学校や職場のほぼ全てが、この私のクラスみたいな雰囲気でしょう。 ほぼ全ての日本人が「家畜になるための教育」しか教わっておらず、 そもそも日本という社会自体が成功者を妬んで足を引っ張り、 価値観の違う少数者を徹底的に叩くムラ社会だからだと私は思います。

この窮屈さのお陰で、集団生活が大嫌いな私は色々苦労してきましたし、 年間30,000人以上の日本人が自ら命を絶っています。

このようなことはどっかで聞いたことのある話かもしれませんが、 私は大学を卒業し、昇給年2,000円のブラック企業で働くようになって初めて、 この「生き苦しさ」の原因が何であるのかを、頭で分かるのではなく、 実感として理解できるようになりました。

小学校の時も中学校の時も高校の時も窮屈さは感じていましたが、 それが何なのか理解できなかったのです。

以上、まとめとしては

ということで、長々と自分の思いをぶちまけてしまいました。 次回、この現代日本で楽に生きるためには何をすればいいのかを述べてみます。

家畜の価値観から抜け出す方法に続く。

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