最近読んだ本の感想文です。
今回紹介するのは『死ぬときに後悔しない方法』という本。
原題は『How to Die』という素晴らしい題名なのに、 「事なかれ主義」のおかげで糞みたいな邦題にされたかわいそうな本であります。 『悟りを開くと…』と同様、こんなクソ題をつける不逞の輩は死ねばいいのに。
それはともかく、 本書の内容はアメリカの大学教授がセネカの主に自殺についての語録について、 ほぼ私見抜きに並べたもので、分かりやすく整理されているおかげで大変読みやすいものとなっております。
KindleUnlimitedでタダで読めるから、興味ある人は読んでみてちょ。
本書の内容で私が感銘を受けたのは、主に以下のような内容。
- 死んだ後は、生まれる前と同じ。生まれる前も「死」である。死後に苦しみがあるなら、生まれる前に苦しんでいたはずであるが、そんなことはなかった。
- 死とはあらゆる苦しみからの解放であり、この世の不幸が途切れる終着点である。
- 死を恐れる原因は、死そのものではなく、人が死についてあれこれと巡らせている考えにある。死と我々の距離は、常に変わらず一定である。もし死を恐れるのであれば、絶えず恐れていなくてはならない。人間が死を免れているときなど一瞬もないのだから。
- 80年間生きたのではなく、死ぬのに80年間かかっただけ。「生への執着」が人生を貧しいものにする。
- 死、つまり魂と肉体が離れる瞬間は、あまりに短く、感じ取ることさえできまい。紐で首を締めようが、水で呼吸を封じようが、地面に落ちて頭を打ち砕こうとも、いかなる手段を選ぶにせよ、結末は直ちに訪れる。 一瞬で終わることに長々と怯え続けて、いったい、お前たちは自分が恥ずかしくないのかよ。
- 肉体に縛られない自由を手にしたいなら、いずれ、その住処を捨て去る覚悟を持たねばならない。
- 地上のものは、お前たちが思うほど素晴らしくもなければ、貴くも、輝かしくもない。見苦しく、物憂いものばかりで、それが天の光によって、かすかに照らし出されているにすぎない。
- 今ある場所に永遠にとどまるものはなく、全ては、月日の流れとともに姿を消し、去ってゆくのだ。
このような、中二病患者が喜びそうなことが延々と書かれているのですが、 やっぱ現代まで名を残す古代ローマの哲学者だけあって論理的だし、何より中二病とは異なるのは、 セネカはネロの命令で自殺を命じられ、実際に自殺しちゃったところ。
本書のラストはタキトゥスの著作からセネカの自殺の様子が描かれており、 「結構グダグダやったんやね」という感想を抱いてしまいましたが、 まあ自分の哲学を貫いて死ねたのは本望だったんじゃないでしょうか。2000年前のことだけど。
しかし、2000年経っても人間の中身なんて同じなのね、 ということが分かって面白い?し、本書は自殺を勧めるというより、以前流行った『完全自殺マニュアル』と同じく、 「いざとなったら死んじゃえばいい」というスタンスで楽に生きることを勧める本だと私は思うので、中高生が読むのもいいかも。
ただし「死ぬ死ぬ言う奴はつべこべ言わず死ね!」とも書かれているので、Twitterのメンヘラ垢みたいなのとか、 死ぬ死ぬ詐欺で有名な某「還暦の○根親父」みたいなのは読まない方がいいかも。(まあそういうのに限って死なないのかな?)
というわけで、死は青天の霹靂でも何でもなく私達のすぐ側にいるので、 死と二人三脚で人生を歩いていきましょうということなのですが、
これに加えて、前に『ジョーカー』の感想文で書いたように 「お前らなんかその気になればいつでも頃せるんや」ということを意識していれば、 自信を持って生きていけると私は思うわけです。
前に書いた『ジョーカー』の記事:映画感想文『ジョーカー』
いくら体を鍛えたロニーコールマンみたいなマッチョだろうが、 勉強を重ねてハーバードを卒業したエリートだろうが、ビルゲイツみたいな大金持ちだろうが、 ホームセンターで購入できる凶器一つの前ではたちまち無力になり、 そのへんの人間でも「勝てる」のは紛れもない事実であります。
なので、そういった事実を認識し、 「その気になればいつでもやれるんや!」ということを頭の片隅に置いておけば、 劣等感まみれのニートでも胸を張って生きていけるし、
そうすることで、所謂「強者」「権力者」といった連中も少しは謙虚さを身につけるのではないか、 と私は思うわけであります。
※ニートだけでなくいじめられっ子でも同様やで。 ただ、無関係な人を巻き込むのはやめろというのは前に書いた通り。
まぁ自殺や頃しに限らず、「覚悟」や「開き直り」があれば、 こんな人生、自信を持てて大抵のことは何とかなるんじゃないでしょうか。
以上、
ということで、今回はここまで。
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