働きたくない! 東大からブラック企業への道その1

これから何回かに分けて、就職や転職、果てはブラック企業についての、 私の体験談を書いていきます。

少し前(2011年)の私なら、こんなことを思い出しただけで言いようのない後悔、 憎しみが湧いていたのですが、自己の内面を色々いじった現在では、 どうということはなくなったので、ここに公開いたします。

受け止め方は人それぞれでしょうが、反面教師?とされるもよし、 鼻持ちならない東大生が転落していく様を見て「ザマァw」と思われるもよし、 何か感じていただければ幸いでございます。

また、悪口などの色々ネガティブな言葉が出てきますが、 当時の心情を正直に再現した結果なので、その点はご了承ください。

それでは、東大4年生のあたりから話を始めていきます。

働きたくない!家畜になる恐怖

プロフィールに書いたとおり、大学時代の私は働きたくなくて 働きたくなくて仕方ありませんでした。

サラリーマンという奴隷、家畜として一生を終えるのと、 悪いことして終身刑をくらって一生を終えるのと、 一体どこがどう違うのか、さっぱり分かりませんでした。 (ちなみに今でも分かりません)

かといって院に行きたいとも思わず、 友人たちが就職活動をしているのを横目にズルズルと先延ばしにして、 結局就職活動を始めたのが4月1日からでした。

その頃には、いわゆる「マトモ」な企業では既に会社説明会が終わっており、 残っているのは「残りカス」みたいな会社ばかりでした。

そんなカスみたいな会社に内定をもらえるよう、私なりに色々やりました。

それで、ペーパーテストやエントリーシートは簡単に通過するのですが、 もう「働きたくなーーい!!!」の一心だったので…

某会社の会社説明会では「我社の会社説明会はどうでしたか?」 と聞かれれば「話が冗長、手前味噌すぎる」と正直に解答し、

別の会社の面接で「『働く』とは何ですか?」と聞かれれば、 「生きていくために仕方なくやることです」と正直に答え、

さらに別の会社の面接で「一緒に働きたくない上司はどんな上司ですか?」と聞かれれば、 「能が無いくせに口うるさいのは嫌ですね」と正直に答えました。

嘘のような、本当の話です。

それぞれ、新宿のS友系IT会社(本当に話が長かった) M菱T京のパン職(なんでパン職受けたんでしょうか) Oトバックス本社(これがきっかけで車を運転するようになってからイエ口ーハット派になった) での出来事でした。

その結果、1ヶ月間で面白いほど落ちまくったので、これは何とかしないといかんと思い、 初めて就職活動のノウハウ本を読んだら、「社会に出て、自分が何をやりたいか考えてみよう」 などということが書いてありました。

「何もやりたくない」が正直な答えだったわけですが、 3月に日商簿記2級に合格していたので「経理でもやってみるか。営業と違って座ってるだけで楽そうだし」 と思い、製造業の経理部に絞って就職活動を再開しました。

その努力?の甲斐あってか1ヵ月後の6月頭、スーツを着るのが鬱陶しくなる前に、 大阪に本社がある某製造業(今は東証一部上場)に内定を貰いました。

以前書いた通り、私の内定先は周囲の友人たちの内定先と比べるとかなり見劣りしていたのですが、 もう就職活動なんてしたくなかったので「もういいや、人生終わった」と思い、嫌々就職することにしました。

それから卒業まで劣等感でいっぱいで、この苦しみから逃避するために大酒を飲んだり 行政書士の勉強をしたりしていました。

卒業式の時も、将来に対する希望などなく、 「ついに執行猶予が終わる!嫌だーーー!!」という悲痛な思いで一杯でした。

入社式と一週間の研修

そして遂に、4月1日から働き始め…

ではなく、梅田からちょい西にある、 オリックスが経営している研修施設(ビジネスホテルみたいな所)で、 4月1日より入社式と一週間の研修がありました。

各自1人1人に個室が割り当てられ、そこで寝泊りしていました。 テレビも見放題だし、コンビニで酒を買って飲み放題でした。

研修内容も、研修室に集められてマナーやセクハラについてのビデオを見るといった、 ぬる〜い内容でした。

費用は全て会社持ちで、おまけに研修終了後、支度金として16万円もらいました。 (引越し等の支払は、会社が別途負担)

今考えると、田舎の公務員なんかと比べても結構厚遇されてたんじゃないか、と思うのですが、 当時の私にはそれが分からず、将来への希望は皆無で将来への絶望でいっぱいでした。

おまけに、とても腹を立てていました。

入社式で新入社員の配属先が発表されたのですが、 私の配属先は経理ではなく情報システム部だったのです。

「なんで経理志望のオレがプログラマーの真似事なんてせなあかんねん!!」 といった感じで、非常に憤慨しておりました。 当時の私は自分勝手そのもので、「プライド」という名の虚栄心だけは一丁前だったのです。

だからといって「会社のためにマジメに働こう」 「周囲から認められる立派な社会人になろう」 などとは、今でも全然思えないのです。

誤解されると困るので弁解させていただきますが、 私は「働くこと」自体は嫌いじゃないのです。 丁度、「勉強すること」自体が嫌いじゃないのと同じです。

何が嫌かって、時間通りに会社へ行き、会社の意味不明な規則に従わされ、 5時過ぎまで拘束された時間を過ごすのが大嫌いなのです。 丁度「小、中、高校」が大嫌いだったのと同じ理由です。

上司のAさん

そんなこんなで4月の中旬より、大阪は北区(近所に帝国ホテルがある、まぁ高級なところ)の、 会社が借りてくれたマンションに引越して、私の社会人生活はスタートしたわけです。

毎日8時前に嫌々起き、二日酔いの死んだ顔で北新地付近にある職場へ通っていました。 新入社員だった私の教育係となったのは、隣席のA係長(以下Aさん)でした。

Aさんは恰幅が良く、人当たりの良いオッサンでした。 嫁さんと当時中学生の娘さんと3人暮らしで、堺に住んでいらっしゃいました。

プログラムの技術や知識は部内でトップレベルなのですが、 午後1時半から3時くらいまで、ビルの地下にあるタクシー運ちゃんの 詰所で昼寝をするのを日課とされていたので、部長や課長から睨まれ、 完全に出世コースから外れていました。

また、大の風俗好きで、飛田新地の店を全制覇したと豪語されていました。 (飛田新地は夜に行ったら中々幻想的で面白いところ)

それだけなら良いのですが、 仕事中に、あの店(もちろん風俗)が良いだの、あのAV(オーディオヴィジュアルの略)女優が良いだの、 「六郎君!長澤ま◯みはタマランなぁ〜」みたいなことを、私に話してくるのです。

「研修の時に見せられた、セクハラ防止のビデオは一体何やったんや」と、 仕事中にAさんの猥談を聞かされる度に考えておりました。

何でAさんが私の教育係になったのだろうと、今でも思ってしまいます。 おそらく、私は会社初の東大卒社員だったので、 ビジネスマナーや会社に対する忠誠心は既に完成されていて、 あとはプログラムの技術をAさんから習えば、 それで立派な会社の歯車になるだろうと… 会社が私を買いかぶりすぎていたのでしょう。

しかし、Aさんのおかげで私は 社畜、家畜の価値観に染まらずに済んだのでした。

これがもしも、社蓄な上司が私の教育係になっていたとしたら… まず間違いなく洗脳されて、現在の私は存在していないでしょう。

恐ろしいことです。AV狂や本番ありの風俗狂になるよりも、 社畜になることの方がよっぽど恐ろしいです。

転職する際も、Aさんにはお世話になりっぱなしでした。 この場を借りて、改めてAさんにお礼申し上げます。

そして、これから社会人になられる皆様も、 Aさんのような方を上司に持たれることを願っております。

怠惰なサラリーマン生活 東大からブラック企業への道その2に続く。


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