前回の記事:無色声香味触法
般若心経の解説も今回で5回目で、あと数回でオシマイです。
今まで意味不明なお経を訳の分からないまま読んで何の意味があるのかと 思っていた人も多いでしょうが、
本解説等で般若心経の一つ一つの意味が分かると、 「一切が空である」という境地までには至らずとも、
「思考は絶対ではない」 「苦しみは頭の中にしかない」という極当たり前のことくらいは 実感できるようになるでしょう。
というわけで、菩提薩タの「」や ケイ礙の「」が機種によっては文字化けしてしまう当節を訳すと
「菩薩は(今まで述べてきた)智慧修行を依りどころとするので、マインドに拘りが無く、 拘りが無いゆえ恐怖も無く、一切の下らない考えから遠く離れて涅槃に至るのである」
となり、それぞれの単語の意味は
となります。
今まで述べてきた「全てが空である」「全てがエネルギーの濃淡や変化に過ぎない」 ということを本当に理解すれば、
「あれが良くてこれは嫌だ」といった選り好み(礙)をすることもないし、 ただエネルギーが変化するだけなので死をも恐れなくなるということなのですが、
実際のところ、一般人はおろか坊主も含め、 本当に実践できる人は皆無でしょう。
何でできないかというと、これこそが真理に反する思考、 つまり「エゴ」のせいなので、当サイトで今まで何度も書いてきた通り、 日々の生活の中でいかに自分がエゴ(思考)に囚われているかを観察すればよろしい。
ただし、エゴが個々人の生命活動を維持しているという側面もあるため、 エゴを「悪」「排除すべき敵」とみなしても無駄、というのも散々書いてきた通り。
エゴなんて排除しようとしても排除できるものでもないし、 そもそもエゴが0%になったら、 「オレはもう何も恐くないだァー!」とかいって、 素っ裸になって高層ビルからダイブしたり道路や線路に飛び出し、 結果ロングホーンを食らったミートくんみたいになるだろうから (それが悪いとは一概にはいえないが)、
「エゴを消そう」「エゴを滅しよう」などという馬鹿げた考えはおよしなさい、 観察してエゴに気付くだけでおk、と申し上げておきます。
そんな感じで、般若心経の言いたいことについては当パートまでで大方終わっており、
次パートはいかにこのお経が素晴らしいかという自画自賛、 その次の最終パートはマントラとなっており、 ハッキリ言ってしまえば蛇足パートとなっております。
ともかく当パートを訳すと
「三世諸仏は(今まで述べてきた)智慧修行を依りどころとしたので、 この上ない智慧を得たのである」
となり、それぞれの単語は
となっており、 「レインボーマン全話見てみたいのでアマプラで放送して」ということです。 (1話だけ何年か前に公式チャンネルで見たことあるけど、 ツッコミどころ満載だった)
ここで引っかかったのが「得阿耨多羅三藐三菩提」の「得」について。
前回出てきた「無智亦無得 以無所得故」と何か矛盾しない?と私は思ったのですが、 モノや概念を得るのと智慧を得るのとでは違うのでしょう、多分。
そんなわけで、
ということで、今回はここまで。
羯諦羯諦波羅羯諦に続く。
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