第8章一節から二節:解説まとめ『ニューアース』完全版

前回の記事:第7章十五節から十六節

前回は

「エゴを縮小させたままにしておけ」ということと、 「空間の意識」についての概要を書きました。

今回から第8章で、前回のラストで言及した「空間の意識」についての話となります。

前回色々書きましたが、実のところ、 書いてある内容は7章とさほど変わりません。

ただし、9章10章が実践編のため、8章が理論編?の総まとめとなり、 8章を読んでピンとこない人は、また1章から読み直した方が良いでしょう。

8章一節 これもまた過ぎ去る

まず一発目は「これもまた過ぎ去る(This, too, will pass.)」という逸話から。

このエピソードも”Is that so?”や”Maybe.”の話と同じく 「抵抗しない、判断しない、執着しない」の「3ない状態」を示すものだということ。

全ては無常で、全ての形は一時的で変化不可避だと分かっていれば、 楽しいことを失うのではないかと恐れたり将来を心配せずに、 楽しい間は楽しむことができるし、 人生の出来事の罠(良い悪いの決め付け、出来事との同一化)にハマることはない、

という話なのですが、

「そうか!抵抗しない、判断しない、執着しないが悟りの三原則なのか! よ〜し、じゃあ今日から抵抗しない、判断しない、執着しないの『3ない運動』をやるぞ!」 なんていう決意をしても無駄だし、 何が何でも「3ない運動」を守ろうとして、逆に抵抗、判断、執着、 つまりエゴを助長することになります。

なので、ただ「あっ俺は今、善し悪しを決め付けて抵抗してるじゃないか」 「あっあっ今執着しているな」と気付いたり観察していけば、 自然と上記の「3ない状態」に近づいていくのです。

近づいていくと、この「私」という形を含む全ての形に対する執着および同一化も減っていき、 形への全面的な同一化から離れていくと、 本来の私である「意識」が、形という牢獄から解放されるということで、 この解放が「内なる空間」の誕生なのであります。

そして、この「内なる空間」が、 どんな状況においても静寂と不思議な平安をもたらしてくれるため、 「私を満たしてくれ、幸せにしてくれ、安全だと思わせてくれ、私が何者か教えてくれ」 という、多くの人々や引き寄せ信者がやっている下らない要求を、 この世界に対してしなくなるのです。

※大体、この世界はそんな要求に応えられないし、 そんな下らない要求を捨てれば自作自演の苦しみは消え去るというのは、当節にある通り。

ともかく、気付きと観察を重ねていくと、 「形」で構成されている(と錯覚している)この世界に、平安をもたらす「空間」が発現し、 その「空間」がこの世界における「形」のリアリティや深刻さをどんどん薄めていき、 まるで仙人か何かのような心境になっていくのであります。

8章二節 モノの意識と空間の意識 Object Consciousness and Space Consciousness

お次はこれで、「あなたは自分自身が『いまに在る』と感じていますか?」の後に

空間の意識は、エゴからの解放だけでなく、 この世界におけるモノや形への依存、物質主義、 そして物性からの解放をも意味する。 空間の意識は、この世界に超越と真の意味をもたらすことのできる、 唯一の精神的次元(精神的特性)である。

という一段落が丸々抜けているというのは以前も書いた通り。 (最新版では訂正されているのだろうか?あと10章一発目の「宇宙飛行士」も訂正してほしい)

ただ、こういうことを書いたり、 この記述を読んだりして「抜けや誤訳があるなんてけしからん!」 なんて思っちゃうのは間違いなくエゴであり、

この世の「モノの意識」と「空間の意識」のうち、 「モノの意識」の次元だけで生きており、 全くバランスを欠いた人生である、といえるのです。

※そもそもの話、本書の内容よりも読む際の意識の方が大事だという、 1章の記述を覚えているだろうか。

なので、

ということをやってモノの意識と空間の意識のバランスを取りましょうというのですが、 こんなの読んだだけでできるわけがないので、 やっぱり気付きと観察をしていくしかないのであります。

最後らへんにある、

「何かの出来事や状況や他人に動揺するとき、 本当の原因は出来事、状況、他人ではなく、空間だけが可能にする真の視点が失われるから。 モノの意識に囚われて、時を超越した意識そのものである『内なる空間』を見失う」

という記述への対策も同様で、気付きと観察が鍵となります。

以上、今回はここまで。

第8章三節から五節に続く。

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