前回の記事:『歎異抄』について語る11
長かったようで短かった本シリーズも今回でオシマイ。
まずは完走した感想から申し上げると、「宗教なんて今も昔も変わらない」これに尽きます。
そもそもの話、既存の仏教、日本の寺や坊主が人々の悩みや苦しみに寄り添っていたなら、 仏教系のカルトなんて世に出てくることなんてなかったでしょう。
しかし実際は、既存の仏教なんて葬式で金をふんだくるだけの集団と化しており、 既存の各宗派も仏教系カルトも、教祖も信者も、「一蓮托生」という有様になっております。
だからといって、キリスト教や共産主義といった他の宗教が良いかというとそんなこともなく、 「人間群れるとロクなことにならない」というのが、何度も言ってるけど正直なところでございます。
※じゃあ無政府主義が良いのかというと、そうでもない。 それも一つの思想で、その思想の元に群れたら結局のところ同じである。
そんなわけで最終章。
「高い金を払ったからといって救われるわけではない。 金額の高い安いが救済に関係があるなどと脅すのはとんでもなく恥ずかしいこと」という、 カルトどころか現在の仏教関係者にも聞かせたいお話。
特に浄土真宗のお偉方、西本願寺とか北御堂とかにいるお偉いさん達は、 この十八章についてどう解釈しどう考えているのか、是非ともご意見を聞いてみたいですな。
もし「お布施の額こそが信心の証」などと言おうものなら、 浄土真宗もそこいらのカルトと変わらないということなのですが、
事実、何度も書くけどうちの爺さんの葬式で高い金払ったら法名(戒名)のランクも高くなったので、 そういうことなのでしょう。
正体現したね。
冒頭に書いた通り、浄土真宗に限らず日本の仏教なんてこんなんばっかだから、 葬式仏教なんて今のジジババ連中がくたばったら一緒に滅びてしまえば良い、
そして、法隆寺とか唐招提寺とか東大寺とか高野山とか善光寺とかは既にそうなりかけているけど、 歴史があり見応えのある寺はピラミッドみたく教義抜きでテーマパーク化しちゃえば良い、 というのが私の意見であります。
まあ私があれこれ言わずとも、いずれはそのようになるでしょう。
以上で本章はオシマイで、残るはあとがきのみ。
あとがきの内容は
「親鸞様が生きていた時ですら誤解やら何やらあったので、亡くなってからは尚更だよね」
なんてことが書かれています。 最初あたりにも書いたけど、親鸞の息子が教えを曲解していたから親鸞から絶縁されたなんてこともあったし。
また、親鸞の
「何が善で何が悪なのか、私にはさっぱり分からん。もし仏が『これが善でこれが悪』と言ってくれるならそうだろうけど、 煩悩まみれの凡夫が住む無常の世界ではそんなものはない。ただ仏におすがりすることが真実だ」
みたいな言葉も載せられているのですが、これはその通りでしょう。
あとは不要なレスバを避けろとか、親鸞様の教えが捻じ曲げられていて悲しいとか、 法然や親鸞が有罪になった時の状況が書かれていたりとかで、
最後は蓮如の「この聖教は、当流大事の聖教となすなり。無宿善の機においては、左右なく、これを許すべからざるものなり」 という言葉で締められております。
※無宿善=仏法を聞く機縁が熟していない人のこと。逆に「時は来た」の人は宿善という。
この蓮如の注意文についても、先の親鸞の言葉と同じく「何が宿善で何が無宿善なのか、この世の誰も分からない」 が真理なので、何かの縁あって『歎異抄』に目を通した人こそが、宿善の人だとみなしてOKです。
でないと「全てを救済する」という阿弥陀仏の本願と矛盾しますし、 蓮如が親鸞に逆らったということになりますからな。
※まあ私的には蓮如は親鸞の教えをかなり捻じ曲げたんじゃないかと勘ぐっているけど。 正信偈唱えようとか変なこと言い出したのも蓮如だし。
以上、『歎異抄』について適当に書いてまいりましたが、書いていてずっと感じていたのが、 「やけに本の内容と浄土真宗の実情とが乖離しているな」ということ。
冒頭にも書いたけど、私が関わった範囲で浄土真宗について思い返してみると、 人々の苦しみを和らげたり相談に乗ったりするでなく、ただの葬式仏教に成り下がっているというのが正直なところ。
これで親鸞の意志が受け継がれているといえるのか、いやいえない。
まことに歎かわしいことじゃございませんか。
まあ、法然も親鸞も、また道元等も、皆形骸化した天台宗に疑問をもち、 天台宗の中で「異端」となり新しい宗派を興してきたので、そんなものなのかもしれません。
こう考えると、異端が一概に悪いとは言えないし、 法然や親鸞がやったように、形骸化した浄土真宗に疑問をもつ人間が出ても何らおかしなことではないでしょう。
ただ、疑問をもった人間が群れてカルト化するのは勘弁なので、私は一人でやっていきますわ。
以上、本シリーズはここまで。
歎異抄ぉ^〜(真理に目覚めた挨拶)
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