前回の記事:『私は誰か?(Who am I?)』その5
今回は第9問と第10問で、特に9問は『ニューアース』でいうところのエゴの話になります。
エゴが何なのか分からんという人は、ニューアースの解説記事を最初から読んで頂戴。
ちなみに、noteで長い記事をひとまとめにしたものを売っているので、 興味のある方は買ってください(ダイマ)
そんなわけでエゴについて。
まず最初に「私」という思考が現れる、これこそがエゴの始まりであり、真我を覆い隠すものである
というのが問いに対する回答の要旨なのですが、こういうのを読んだ初心者は 「そうか!エゴが諸悪の根源なんだ!」「何が何でもエゴを滅ぼして真我を実現させにゃ!」 と思って安っぽい決意をするけど、結果どうにもならずに徒労に終わるというのは散々書いてきた通り。
まぁ、いきなりエゴだなんだと考えるより、
と岡本太郎の本にあるようなことを自覚できれば良いんじゃないかと思います。
ただ、やっぱり本当に自覚できるまでは苦しむことになるし、 あれやこれやと考えたところで、それら全てが真我を覆い隠す思考であるのだけど。
続いて第10問。
何回も想念想念と出てきて「ああそうねんですか」と言いたくなるけど、 前回書いた通り英語だとthoughtであり、つまりは「思考」のことなので、思考と置き換えて読みましょう。
ともかく、この回答で言いたいのは、
ということであります。
これは第9問を読めば分かる通り、
であるから、最初に出てくる「私」という思考に対し、 真実でもって向き合おうというのが「私は誰か?」という問いかけの思考なのであります。
※金が無い、身体が痛い、職場の人間関係が悪い…人それぞれに様々な悩みはあれど、全部主語は「私」だろう? 「我が子が病気だ」も主語は「私」であるし、事実、赤の他人の子供のことなんてそのうち忘れてしまうではないか。
ただ、このメソッドでホンマに効果あるんかいなと思う人も多いでしょう。
かくいう私もその1人で、実際このメソッドのみを突き詰めていって実感できたわけじゃないし、 この「私は誰か?」を繰り返すメソッドも第12問に出てくる「その他の方法」の一つなんじゃないの、
ゴータマ・シッダールタも「私は誰か?」と探究したの?、 それってあなたの感想ですよね、などと不遜なことを考えてしまいますが、
その不遜な思考は誰に湧いたものか→私にである→では「私」とは誰か?
と探究すれば良いというのが第11問の回答。
そんな次回のネタバレは置いといて、 別にこの方法一つに固執せず、自分なりの方法でやってみて挫折を繰り返すのが良いんじゃないでしょうか。
別に「私は誰か?」でなくとも、noteの記事で紹介してる「気さくな挨拶メソッド」でもええんやで(ダイマ)
挫折を繰り返す中で何か見えてくる人、相変わらずの人とに分かれますが、大した差はないでしょう。
以上、今回はここまで。
次回の記事:『私は誰か?(Who am I?)』その7
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