前回の記事:『私は誰か?(Who am I?)』その4
今回は第7問と第8問。
第8問には「心」だの「想念」だのといった言葉が出てきますが、
ということなので、前から言ってる通り、 「何だこれこれ意味不明だよ」という文章があった場合は英語版を読みましょう。
本書に限ったことでないですが、 こういう系統の本については変に訳された日本語よりシンプルな英語の方が理解しやすかったりしますで。
そんなわけで第7問の回答は「心が静かになったとき、世界は消え去るだろう」とある通りですが、 「そうなのか!それでは何が何でも心を静めにゃ!!」とか思いだすとドツボにハマります。
理由は簡単で、その「何が何でもせにゃ」こそが苦しみの根源である心=マインドであるからで、 火を消すのに灯油をかける状態になるのであります。
なので、このサイトやnoteの記事でも散々言っているように、自分で苦しみもがき、 その苦しみや試行錯誤の中から気付くしかなく、
本書の「私は誰か」メソッドをはじめとする他人の体験や本の内容等については、 他人の体験に過ぎずあくまで補助なもの、刺身のツマ程度のものなのであります。
※この「自分で苦しみ、試行錯誤の中から見出す」ことが本書でいう「探究」ならば、 本書は正しいことを言っている。
これが理解できていないと『かもめのジョナサン』4章の、自分で実際に飛ぶことすらせず、 下らない質問でフレッチャーをキレさせ、ジョナサンの教えを形骸化させた愚かなカモメたちのようになるのですが、
この世界でも大抵はこのカモメたちのようなのばかりで、 アンソニーのような人間は極稀だということは、あとがきで五木寛之が書いてたように仏教の歴史、 ひいてはネットなどを見れば自ずと分かることでしょう。
だからといって、それが嘆かわしいとか、教えはどうなってんだ教えは!などとは最早思わず、 そういうものなんだ、「これはな誰でもそうなるんや」と、夏休みの朝顔観察のような気分で私は眺めております。
次は第8問で、回答が長いので要約すると
という、どこかで聞いたことある話になります。
だからといって「思考を止めよう!!」なんてやると、 某Ωの「水中クンバカ」のような惨めな結果になるのでやめた方がよろしい。
じゃあどうすれば良いのかというと、上の段で書いたように苦しみの中から気付く、 あとは解説ニューアースの記事で散々書いてきたように、 マインドが何に依存しているのか気付いて観察する、これが一番「楽な」方法だと思います。 (散々苦しむことが「楽」というのは変な話だが)
以上、今回はここまで。
こういう手のものは字面が違うだけで本質および解決策は同じなため、 段々書くことがなくなってきたけど、次回に続く。
次回の記事:『私は誰か?(Who am I?)』その6
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