この日本社会は生き辛いが、失敗しても大丈夫な理由

前回記事の付け足し

前回は死について変な文章を書きましたが 別に「死」だけでなく「悟り」とかについても同じです。

悟る方法や悟りに対する受け取り方なんて人それぞれだということです。

それでは今回の記事。

私は大学時代あたりから「現代日本は一度失敗したらやり直しがきかない社会」 などと常々思ってきて、それを教授に話したり(恥〜ずかしい!!)、 このサイトを立ち上げた時も「現代日本の家畜が云々」などと書いてまいりました。

ネットでも「現代日本では一度失敗したらやり直しがきかない」が通説になっており、 おそらく日本人の大部分がそのように考えているのではないでしょうか。

ただ、そんな私も年をとるにつれ段々と 「やり直しはきかないかもしれないけど、日本では失敗しても何とかなるよなあ」 と考えるようになっていきました。

※注意! ここでいう「失敗」とは、大抵の人が連想する「経済的失敗」のことです。 車の運転や冬山登山のような、失敗すると問答無用で即死な事案は除きます。

以下にその理由を。

失敗しても大丈夫な理由その1:簡単に死ねない国、日本

やる気のある人は試していただいてもよいのですが(本当にやってもらっても困るけど)、 駅前でも何でもよいので人通りの多い所に出て 歩道とか店の前とか、車が通らない場所で倒れてみてください。

そのまま倒れて動かないままでいると、おそらく10分もしないうちに、警察なり救急車なり呼ばれて どっかへ運ばれていくでしょう。

それで、あなたが本当に宿無し一文無しで栄養失調の状態なら、 頼んでもないのに点滴とか打たれて栄養補給され、 施設みたいなのを紹介されたりするのではないでしょうか。

あるいは警察署に包丁を持っていき、 自分の喉下に刃を突きつけて「死なせてよ〜」とかやろうものなら、 たちまち警官に取り押さえられ豚箱にぶち込まれてしまうでしょう。

こんな下らないことを書いて何が言いたいのかというと、 これが社会主義国家ならともかく、現代日本においては、 上のような馬鹿なことをやっても、万が一本当に死ぬ気があっても、まず死なせてくれません。

加えて、致命的な病の末期症状になっても医者は患者を 生かそうとするし、自殺の名所へ行けば引き止められるし、 「死にたい」と言うと「死ぬな」「生きろ」の大合唱がはじまるし、 淘汰されて然るべき能の無い人間が生活保護等で生かされているのを見ても、 現代の日本は「極めて死ににくい」社会といえるのではないでしょうか。

失敗しても大丈夫な理由その2:経済的失敗なんて屁みたいなもん

なので、この現代日本における主な失敗、

などの経済的な失敗なんて、最悪、金や名誉や住む場所を失うだけで即死になるわけじゃないし、 いざ死のうと思っても周りが生かそうとするので、屁みたいなものだと私は考えております。

偉そうにこんな記事書いている私も、高校生活に失敗し、 現役時の大学受験&大学生活に失敗し、就職活動に失敗し、 転職にも失敗しと、色んな失敗をやってきておりますが、 この通り今もピンピン生きております。

よって、再受験や転職、起業など 生死に直接関わらないやりたいことがあるならば、 失敗なんぞにビクビクせずにドカンと一発やってみれば良いと 私は思っております。

ちなみに私の人生を振り返ってみるに、失敗を恐れながらやるとロクな結果にならず、 失敗上等!一発カマしたるという場合は極めて良い結果となりました。

これでも躊躇してしまう人、 「そんなことになるなら死んだ方がマシだ」なんて考える人は 自分の地位やお金や持ち家や車や家族といった無常なものを 自分自身と同一化させているので、『ニューアース』なり『シッダールタ』なり読んで、 エゴや執着心といったものを減らしていった方が良いでしょう。

そもそも、エゴや執着心まみれの人生を送っても、 死ぬ間際に「俺の人生何だったんだ」となること必須なので、 ある程度年齢を重ねた人、30過ぎた人は是非ともやってみてください。

追記

これは最近気づいたことですが、 失う覚悟も無いくせに何かを手に入れようとすることは、 極めてナンセンスなことではないでしょうか。

生きる上で大変ためになる記事一例

引き寄せに関する大変素晴らしい記事一例

...