ニート、引きこもりから脱出する方法 はじめに

当サイトを開設したのは2011年11月ですが、 その頃から書こうと思って今の今まで書けずじまいだった「ニート引きこもりから脱出する方法」について、 これから書いてまいります。

何で今更書く気になったのか、自分でもよく分かりませんが、 最初の大学時の3年間とブラック企業から脱出後の1年間、 合計4年間ニートで過ごしてきた経験や当時の心理状態を思い出しながら、 好き勝手書いていきます。

ただし、本当に好き勝手書くので、 状況が逼迫して八方塞がりの人はこんな下らないもの読まずに、 医者や支援団体(といっても反社まがいの団体もあるので注意) に相談した方が良いし、

万が一「うちの坊ちゃんを脱出させるザマス!」と意気込んでいる親がこれを読んでいるなら、 脱出云々の前に、まずは己の馬鹿さ加減を真剣に反省し、我が子に謝るのが先であります。

私のニート引きこもり体験

まずは私のケースから書くと、

ブラック企業脱出してから現職に入るまでの1年間は、『ニュアース』を始めとする本を色々読んで 当サイトに解説記事を上げたりしていたので、そんな悲壮感はありませんでした。

株の含み損は最大時140万円あったけど結果的にプラス転換して利益は出たし、 1年後に現職に就いて年収1000万円を超えたし(最大瞬間風速だけど)、 といった風であります。

問題は最初の3年間の方であり、顛末はブラック企業在籍時に書いた、 読んでいて暗くなる「ニート体験記」の通りで、

(東大じゃない最初の)大学2年の時、積もりに積もったものがあったのか知らないけど、 ある朝突然大学をサボり、その後3年間ニートで過ごしました。

当時は「引きこもり」「ヒッキー」という言葉しかなかったので 私もニートではなく「引きこもり」を自称していたのですが、

一人暮らしなので外出こそすれ、3年間でマトモに会話した覚えがあるのは、 2ちゃんの引きこもりオフ会のみだったので、 充分「社会的ひきこもり」に該当する状態であったと今でも考えております。

まぁそのような引きこもり状態の中で「色々あって」、 最後は1年間真面目に勉強して東大に受かり、 「引きこもり脱出」「脱ニート」を成し遂げたわけであり、 今回はその「色々あって」の部分、 それについての具体的な方法を書いていきたいと考えております。

※こういう風に書くとまるで自慢しているかのような印象だが、こんなのちっとも凄くない。 本当に凄い人間というのは開成とか灘とか筑駒とか麻布とかの名門校からスカッと東大に入り、 官僚になったり裁判官になったり起業したり、さらには日本を脱出して外資系企業で技術者になったりと、 自分の才能を充分に活かし自分の決めた道を突き進んでいく人間で、そういうのは東大で散々見てきた。

可能ならずっと引きこもってOK

前置きはこれくらいにして、 まず現在引きこもりやニートの方々に私が言いたいことは、

「可能ならばずっと引きこもってOK!」

もうこれに尽きます。

この「可能ならば」とは、もちろん金についてのことで、 私が東大に行ったり現職に在籍しているのも、 ひとえに「金のため」といっても過言ではありません。

本来なら、私がくたばる予定の80歳まで引きこもれる位、 親の資産があれば万々歳だったのですが、

そこまでの資産は無かったから、 わざわざ東大なんかに行き、わざわざ現職なんかに就いたわけであります。

※よく「東大在学時の学費や生活費はどうしたのですか」などという質問が来るが、 そんなの金持っていた親に出してもらったに決まっておろう。 今なら「金より愛情が欲しかった」などと臭いことを言えなくもないが、 世間には愛情どころか金すら出せない親も多いので、私の場合ラッキーだったと思う。

なので、親が金持ちだったり不動産収入などの不労所得があるという、 大変うらやましい引きこもりやニートの方々は、

「神様仏様ご両親様」と親御さんに感謝し、適度に身体を動かして、 死ぬまでずっと引きこもったりニートしていた方が良いです。

根が引きこもりな私なら絶対にそうするし、 無能なだけの二代目経営者、無能な二世政治家、芸の無い二世タレントといった 親の七光り連中が大きな面をしているこの世の中、 それくらいしてもバチは当たりません。

ただ、引きこもれるだけの充分な金がある人は極少数で、 私を含め大抵は、子供が一生引きこもれる位の財産すら築いていない、 不甲斐ない親から生まれた方々でしょうから、

次回から、そうした人たちの具体的方法について書いていきます。

その2 まず悲劇の主人公気取りをやめよに続く。

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